見栄と背伸び





戦後経済が破綻した昭和20年代という貧しい時代から経済が復興し、高度成長期に入ってテイクオフすると、右肩上がりの経済成長の追い風に乗りその恩恵をどれだけ得られるかが、貧しい人にとっては人生の成功の鍵であった。自助努力せずとも、その疾風に身をゆだねさえすれば、いくらでもいい思いができるとみんな思い込んでしまった。その分、バスに乗り遅れることと、梯子を外されることを何より恐れた。

確かに運よく幸運の女神に微笑まれ、労せずして大成功をおさめられた人もいることにはいたが、それはあくまでも少数にとどまっていた。やはりそんなおいしい思いができる人は限られていたのだ。しかし、高度成長の恩恵は確かに全国津々浦々に及んだ。それと共に、70年代に入るとそれまで江戸時代以来脈々と続いていた生活文化は大きく変化し、現代に続く新しい日本社会を生み出した。

コンビニやファストフード、ファミレス、居酒屋チェーンなど、今でも続いている全国展開のチェーンブランドが生まれたのもこの頃である。農漁村の大家族から集団就職し、都市近郊のニュータウンに核家族で住まうようになるなど、日本人の生活のあり方はこの時数百年ぶりに大きく変化した。これとともに、「経済成長がもたらした小さな幸せ」というそれなりの恩恵は、多くの人が実感することができるものとなった。

しかし、その中でも個々人の受けられる恩恵の度合いにはムラがある。誰しもが何らかの恩恵を得たことは確かだが、そのご利益の大きさによっていわば「松・竹・梅」の握り寿司ような違いが生じたことも確かだ。当然「松」の人はその嬉しさに思わず頬が緩むだろうし、「梅」の人は一応少ないながら恩恵を得たにもかかわらず悔しさで地団駄を踏むだろう。人間とは浅ましいものだからだ。

ここで登場するのが見えと背伸びである。高度成長の恩恵が「松・竹・梅」とレベルが違うなら、せめて実態以上に恩恵を得ているような大きな顔をして他人を羨ましがらせたい。他人を妬み・羨ましがっている人だからこそ、相手から妬まれたり羨ましがられたりすることで溜飲を下げたい。人間の常として、このようなモチベーションが必ずや起こってくる。その結果、高度成長期とは見栄と背伸びの時代となった。

自分が得ている恩恵を実態以上に見せることで、周りの人々を羨ましがらせたい。虚栄でかためることで、一つ上の集団に紛れ込みたい。記憶の中に育ってきた貧しい時代が深く刻まれている以上、そこに逆戻りしそうなボーダーラインではない安全圏に自分が居るという安心感を、このような見栄と背伸びによって得ようとしていた。だからこの時代に育った人間は、自分を実態以上に見せることに躍起になることを刷り込まれている。

全身をハイブランドのファンションで固めて高級車を乗り回すことで、自分がセレブになった気分になって大いに見栄を張る成金など、この世代には以上に多い。全くに合っていないにもかかわらず、身に付けたブランドマークを誇示することで、一段も二段もハイレベルの人間になったような気になってふんぞり返る。いまでもこの手の人間は見かけるが、高度成長期にはこういう連中の方が多かった。

しかし本当に上級の「わかっている」人にとっては、外見と中身の落差の大きさから、かえって中身の無さをさらけ出した「裸の王様」感が強まっているだけにしか見えない。同じように、政治家や芸能人などのセレブと写真を取り、それを他人にこれみよがしに見せるなどして、あたかも深い親交があるように見せたがる人も薄っぺらい成金に多い。これも「虎の威を借りる狸」そのものである。

なぜこういう軽薄な行動に執着するのか。それはこういう連中がそもそも自分に中身がない空っぽな人間であるためだ。自分が中身がないからこそ、人は所詮外見だけと思ってしまう。だからこそ、外見を虚飾で飾り立てれば、自分の価値が高まるとおもってしまう。結果、外見を取り繕うのに湯水のごとく金を掛けることになるのだ。そう考えると、今でも見栄と背伸びに執着する人間がいる理由もよくわかる。

彼等は、やはり中身がない「ハリボテ」なのである。年功序列の日本式組織だと、中身がない人間でもそれなりのポジションについて権限を持ってしまうことが多かった。こういう人間はその権限を最大限に活用して、空っぽの中身取り繕うべく見栄と背伸びに邁進することになる。そしてそういうタイプの人間は昭和に比べれば減ったものの今でも存在している。まあ、長い目で見ればそういう組織自体が絶滅危惧種である。いつかは昔日の笑い話となってしまうのだろうが。



(23/11/24)

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