変わらないもの






IT革命、インターネット革命、情報化とネットワーク化によって、世の中が大きく変わるんだという論調は、ここでわざわざ例をひくまでもないほど世間にあふれている。まあ、何かが変わるのは確かだろう。時が経っても、何も変わらない方がおかしい。だが、昨今の言い方はまるで狼少年だ。ぼくに言わせれば、こういう煽りはどうにも虫が好かない。マスコミは囃したてたほうが売れるわけだが、こういうのはポストとか現代とか、無責任なサラリーマンメディアの論調のレベルだ。人を惑わすだけ。マトモにモノを考え、判断する足しにはならない。そもそも人間はそんなに簡単に変わるモノじゃない。世の中もそんなに簡単には変わらない。

戦災や戦後の復興を目前に感じていた高度成長期なら、当時世の中にあったモノが全て塗り替えられる未来社会を夢想しても、あながち的外れには感じなかったかもしれない。しかし実際には、ビルや家はそんなに急激に建て替わるモノじゃなかった。バブル期にずいぶん建て替えられたといっても、21世紀の景色は、その昔昭和30年代に想像されていたものよりも、ずっとコンサバなものだ。クルマだって、ミニバンやRVが多くはなっているが、昔想像されたような流星号みたいなのが走っているわけではない。町の景色は、鉄腕アトムで手塚先生がイメージした21世紀の風景のようにはなっていない。

受け手や市場である「生活者」というのは、基本的には「三つ子の魂、百まで」世界に生きている。彼ら彼女らが受け入れなくては、ヒット商品にならないし、ブームにもならない。マニアックなものはさておき、マスにならなくては世の中への影響力はない。そしてマスである以上、時代によってもそんなに変わらない人間の本質に根差していなくてはならない。携帯だって、e-mailだって、テクノロジーは新しくても、そのニーズを支えているコミュニケーションの欲望は、人類の歴史と同じ位歴史がある。原始人だって、仲間と心を通わせたかったし、共有している価値観を確認したかっただろう。根源的な欲望は一緒なのだ。

このように、変化を考えるとき一番陥りやすい間違いは、新しいモノが出てきて、古いモノにとって替わるという発想だ。基本的には新しいものが出てきても、それが変わらないニーズとマッチしてこそ普及する。確かに新しいニーズもなにがしかは出てくるだろうが、それは微々たるもの。時代が変わっても古典として残るものほど、人間の本質をついているし、そういうものほどテクノロジーの変化には強い。世の中の変化はITとは関係なく、いつの時代にもある。だが確かにITの普及がもたらす変化もある。そのポイントは、IT革命の時代は「淘汰の時代」というところにある。

新しいモノが出てくる変化ではなく、競争力がないものが淘汰されることで、世の中の構造が変化する。実はIT革命と呼ばれている変化の本質はここにある。たとえば流通なら、流通構造が革命的に変化するのではなく、今までなぜか生き残っていた「ヨコシマな流通」が競争力を失って退場するということだ。中身がないもの、利権にのっかっているだけのもの。これはもはや生きてはゆけない。キャリア警察官僚の不祥事に代表されるように、高級官僚が制度疲労を起こしているのはその典型だ。こういう連中は、いままで居場所があったほうがおかしい。ズルしてたヤツらがびびるのは当然だろう。だが、今まできちんとまっとうにビジネスをやっていたのなら、なにも恐れることはない。それがきちんと認められ、褒められる時代がきたまでのこと。

あと、いまごろ妙にベンチャーを礼賛するのも疑問に思う。そもそもベンチャーの時代なんてもう終わっている。ベンチャービジネスは、産業にニッチがあるときしか生まれようがない。勝ち組総取りの時代に、しこしこ手作りでベンチャーなんてやって競争力があるわけがない。ベンチャースピリットというか、企業家精神というか、既存の利権にとらわれない柔軟な発想が必要なのはいうまでもないが、それが個人事務所に毛が生えたようなベンチャービジネスとイコールにつながるわけじゃないということ。資金力を持つもの自身に企業家精神がなくては、やっていけない時代に入っている。

そういうワケでこれからのビジネスは、横綱ガチンコ相撲の時代に入る。ビッグビジネス同士の真剣勝負。なれ合いや八百長は許されない。ごまかしも効かない。しかし、マジメにきちんとやってきた人や会社なら、これからは運が開ける。新しいことをやるのではなく、本質をどれだけきっちりと押さえているかがポイントだからだ。利権や許認可権でゴマかすのはもう通じない。それに変わって、愚直なまでに本筋で正面突破するのが王道になる。これを「変わった」ととるようでは、すでに負けている。それは今までズルをしてきた自業自得というものだ。正直者はけっきょくは得をする。自分ではウソをつけないコンピュータは、正直者の味方なのだ。

(00/03/10)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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