あぶり出される「アホ」





ある意味「鉄のカーテンの崩壊」が何千万という人間の命を賭けた社会実験の結論を示しているように、そもそもエンゲルスとレーニンが提唱した社会主義・共産主義という政治形態は絵に描いた餅であり、現実的な社会運営の基本ルールたり得ない(ビジョン・哲学的理想論としての社会主義・共産主義の意義はこの結果とは別である)。これは、この答えを得るために膨大な犠牲を払いつつ、20世紀の人類が証明した最大のファクトである。

それでもまだ左翼・リベラルのお花畑のお伽噺ような主張を、実現可能な未来であるかのように鵜呑みにしてしまう人がいる。そういう人は頭が悪いから、荒唐無稽な詐欺のような左翼の主張でも信じてしまうのだ。卵と鶏というか、彼らは客観的に状況を把握することができず、極めて主観的かつ教条主義的にしか物事が捉えられない。また、他人の文章や言動を正しく捉えて理解することもできない。

れいわ新選組ほど極端でなくとも、それなりに歴史や系譜のある日本共産党であろうと立憲民主党であろうと、その政策主張は現実性・実現性に欠けたある種の夢物語である。そうはならないけどそうなったらいいな、という程度のリアリティーだ。もちろんそれを理想論として語り、「そこへは行けないけど一歩でも近づけるように努力します」というのなら、それはそれで政治家のビジョンとしてはありだろう。

だがなんせ「支持者」は頭が悪くて分別がないから、夢物語と実際の政策との区別がつけられない。小さい子供がサンタクロースの存在を信じてしまうようなものだ。実現不可能な永久機関も、信じれば動き出してしまう人達。そういうお脳の弱い人がいるというのは昔からわかってはいたが、そういう人が身近にいてしばしば見かけるということは少なかった。それは黙って立っている限り、アタマの中がお花畑かどうかはわからないからだ。

しかしSNSが普及して、状況は一変した。その人が何を言っているかを認識できれば、「お花畑君」かどうかは一発でわかってしまう。そして、誰でも何でも物理的に書き込むことができるUGMが爆発的に普及した。スマホで書き込めば誰でも発言できてしまう。そしてスマホは誰でも持っている時代がすでにやってきた。いわば「お花畑君」を可視化する機構が、社会インフラにビルトインされてしまったのだ。

事実、SNSなどでそういう左翼の支持者が直接書き込んだものを目にする機会も甚だしく増えた。特にイーロン・マスク氏が買収する前のツイッターなどでは、そういう書き込みを優先して他人のタイムラインに表示していたのではないかと思うくらいこれでもかと出てきた。毎日、数えきれないほどのブロックやミュートを繰り返さないと、自分のタイムラインが便所の落書きになってしまった日々もなつかしい。そのほとんどが自分の分別のなさを天下に曝け出しているものである。

そのような書き込みの中には「人権派と称する弁護士」先生のツイートもあったりしたが、とても標準レベルの知性さえ持っているとさえ思えない、低レベルの思い込みと主観的な認識に基づく自分勝手な主張だったりする。日本の司法試験というのは、実はそんな連中でも合格してしまうものなのだというのを見せつけられると、そういった底辺の弁護士など早くAIに置き換えてしまった方が良いというのを強く感じる。

見方を変えれば、SNSというのは実によくできた「アホのあぶり出し装置」と考えることもできる。産業社会の時代においては、知識だけいっぱいある「お花畑君」でもそれなりに活用できるニーズがあった。しかし、AIが実用化した情報社会においては、周りの人間やシステムに余計な手間を取らせる、全く持ってムダな存在以外の何物でもない。まあ、それを識別するシステムも自動的に出来たのだと思えば、これはこれで時代の進歩として意味があるのかもしれない。


(23/12/22)

(c)2023 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる