ネットワーク化のもたらすもの






今さらこんなこと、とは思うのだが、今に至ってもよくわかってないヒトがなぜか多いようなので、あえて言おう。それにしても親切だな(笑)。ネットワークのようなオンラインでも、パッケージのようなオフラインでも、メディアがいくら変わろうと、中身のあり方そのものは変わらないし、中身の評価軸も変わらない。それは1対nのコンテンツ的なものでもそうだし、1対1のコミュニケーション的なものでもそうだ。ましてやn対nの同人誌的なものでも全く同様。もっとも金になり方や金の流れは多少かわるかもしれない。何がウケるかという本質は変わらない。それは人間の本質が変わらないからだ。もちろんこれは、オンラインの中身が放送だ、通信だ、インターネットだと変わっても同じことだ。

この中ではn対nの形態がいちばんわかりやすいだろう。コミケで売っている同人誌や同人ソフトと、インターネットの個人ホームページとは、その中身やウケかたは全くシンクロしている。まあ、同じ人間がやってるんだから、当然と言えば当然だが。そこで気付くのは、オフラインの方が、かえって売り手市場にしやすいということだ。送り手の側が、流通をコントロールできる。数が限られている分、売り切ってしまうことはある意味ではたやすい。オンラインでは、完全に買い手市場になる分、中身がきっちり支持を得る必要があり、かえって厳しい。競争は厳しくなる。

だから違うメディアが出てくるとそこに新しいチャンスがあるとばかりに、期待しすぎてはダメだ。そういう過剰な期待は、勘違いに終わるのが関の山。新しいものが出てくるからといって、チャンスが拡がるというわけではない。もちろんチャンスが拡がるものもあるが、それはもともと構造的に問題があったジャンル。可能性がビジネスにつながっていなかっただけのこと。そちらの方が例外だ。基本的に競争原理が働くということは、強いものはより強くなる。そう都合よく進むものではない。サクセスストーリを持たないものが、新しい土俵ができただけでチャンスに出会えるほど甘くはない。そして競争は、新しい場ほど厳しく、実力主義になる。

競争が厳しく激しくなるのだから、シェアの変化みたいな動きはかなり起こるだろう。いままであまり市場が大きくなかったものが大きくなる、というような変化は充分考えられる。同様に効率の変化というのも有りうる。コストが変化するので、市場規模は同じでも、いままで商売になりにくかったものが、比較的容易に商売になるという変化だ。どちらにしろ、これらの変化はあくまでも程度の問題に過ぎない。無が有になる話ではありえない。コストが下がれば、採算分岐点も下がるし、ビジネスとして成り立つ規模の或値が下がる。それだけのことだ。ある意味で、これがメディアの本質でもある。

何のことはない、メディアとはコンテンツやコミュニケーションのヴィークルに過ぎない。手段であって目的ではない。コンテンツでいえば、その当たり外れは作った人間の才能次第。才能ある人間の産み出したものが、どれだけ受け手の心を満たすか。ヒットのカギはそれだけでしかない。だから才能のあるヒトにとっては、新しいメディアが出てきても「またチャンスがちょっと増えた」という程度にしか感じない。新しいチャネルができたからって本質が変わらないことはよくわかってる。そしてそんなことで手を変え品を変えしてたのでは、ヒトの心に訴えるものは作れないことも、本能的に知っているからだ。

一方才能のない人間は、自分の才能のなさに気付かず、それをチャネルや機会のせいにしがち。新しいチャネルができれば、自分にもチャンスが来るように思っているが、とんでもない勘違い。問題点は自分にあるのであって、外側のシステムにあるのではない。自分の問題点を見ることなく、どんどんそこから離れて他人のせいにしてゆく悪循環。偉大なる徒労に終わったかつての「ニューメディアブーム」から得るものがあるとすれば、チャネルは本質を変えないということを実地に学べたということではないだろうか。

コンテンツの論理と関わりのないように見える1対1の通信系メディアの動向も、何も本質は変わらないのだという視点さえ忘れなければ、簡単にナゾが解ける。携帯で時間と心を共有していたい相手がいなければ、携帯があっても決してかけることはない。e-mailを出したい相手がいるから、e-mailがはやるのであって、e-mailができたからコミュニケーションしたくなるのではない。こちらの方が、より個人的感情に直結した行動なので、きちんと理解できればわかりやすいだろう。別にテクノロジーの進歩が、ヒトと話したい感情を生み出したワケではない。ヒットせずコケてしまったコミュニケーションメディアは、この心の琴線に触れられなかったということだ。

もちろん、これは今ハヤリのe-ビジネスについても同様だ。e-ビジネスがe-ビジネスだけで超然的に存在し得るわけではない。既存のリアルな流通やビジネスに対して競争力を持ち、差別化できるアドバンテージを持ってこそ、ビジネスとして成り立ち得る。そしてその差別化のポイントは、今までのビジネスでもクリティカルなポイントであったものに他ならない。既存のビジネスと同じ土俵で闘っても、充分に勝てるだけの「強味」がなくては、いかに新技術を使った仕組みであっても、ユーザーからの魅力はないし、けっきょくは利用されない。IT技術を使えば、フロントエンドが既存のままでも、よりオプティマイズした流通は可能だ。そっちこそほんとのe-ビジネス革命なのではないだろうか。

昔は、許認可利権があったので、利権さえとってしまえば、本人に能力がなくても才能のある人間を雇い入れることでビジネスができた。しかし、官庁キャリアに代表されるそういう世界がどんどん消えてゆく時代だ。それに、オンライン化・ネットワーク化自体が、利権構造を壊してゆく機能を持っている。メディアは付加価値を生まない。それどころではなく、今までマイナスの価値を生み出していたものさえある。それは淘汰されるだけだ。まあ、そういう連中が焦っている気持ちはわからないでもないが、いままでおいしい汁をたっぷり吸ってきたわけじゃないか。この辺が一つ、引き際というものではないだろうか。


(00/03/17)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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