今さらインタラクティブ?





BSデジタル放送が今年の末から開始されるというが、いまいち盛り上がりにかけている。それもそのはずだ。もはやメディアの時代ではない。いまさら、流通経路が増えたからって、メディア余りの状況は激しくなるだけ。チャネルそのものが問題だったアナログの頃とは違うのだ。ディジタルではパイプが常につながっている必要性はどこにもない。そもそもディジタルは連続的に情報を送る必要がないからだ。伝送路はパケットにして、それこそ「断続的に」送るのでかまわない。そしてパケットに関しては誰が発信者で、だれが受信者かだけが重要で、どこを通るかはそもそも問題外になる。別のところを通ってきたパケットを後で組み直して、アナログ情報を復元しても、人間にとっては関知外のことだ。

そもそもインターネットを使っていて、サーバから送ってくるデータがどこをどういう風に通ってきたか気にするのは、電線屋とコアなマニアだけだろう。これがディジタル世界の本質なのだ。だが未だにアナログ時代のメディア発想から抜け出せない人が多い。それでは、みすみすチャンスを逃すだけ。しかしアナログ時代だってその本質においては、メディアの構造とコンテンツの構造とは別物であったのだ。コンテンツがインタラクティブであることと、メディアがインタラクティブであることは同値ではなかった。聴取者からの投稿で成り立っているラジオ番組はインタラクティブだし、録音された情報を聞くだけのテレホンサービスはインタラクティブではなかったことを考えれば容易にわかるだろう。

コンテンツがインタラクティブであるためには、それを乗せるインフラがインタラクティブである必要性などない。ましてやメディア余りのディジタルの時代。上り、下り、それぞれ情報の流れに最適なものを選び、トータルでコストのもっとも安い仕組みを作ればいい。システムとはそういうものだ。メディア自体がインタラクティブになることで、コストが上がってしまったのでは全く意味がない。ここに気付かなくては、ディジタル化の本質はつかめない。インフラが安く、多様化する中で、目的が明確ならば最適な手段が選びやすくなった。要はこの点に尽きる。そしてそのカギはコンテンツの性格にある。コンテンツの性格によって、最適な「メディア」を自由に選べる。これが「コンテンツの時代」と呼ばれる由縁なのだ。

インタラクティブなメディア、たとえばファイバー・トゥー・ホームでも、そこで利用されるコンテンツの内容を考慮すると、多くの場合必ずしも対称的なインタラクティブ性は必要とされないことがわかる。それなら、インフラサービス自体にインタラクティブ性がビルトインされている必要はない。もっと効率的な仕組みを考えた方がいい。ディジタルの時代だからこそ、インフラの仕組と、ニーズのあり方は別のものとして考えることがポイントになる。たとえ、ファイバー・トゥー・ホームの仕組みをベースとしていても、上り、下りで別のサービスとして提供されているものを組み合わせてインタラクティブ環境を構築した方が、サービスそのもののシステムをインタラクティブにするよりコストは安いだろう。

閉じて完結したメディアサービスではなく、開いて自由な選択が可能なメディアサービスがなくては、コストの最適化は果たせない。すでに定着した、通信事業者を一種二種と分ける考えかたや、放送事業者を委託受託と分ける考えかたの基盤もここに求められる。全部自前で抱えるやり方ではコストがかかりすぎ、起ちあげるビジネスも起ち上がらない。利権が増えることがいいのか、市場が拡大することがいいのか。ビジネス界にとっては余りに自明で聞くまでもない。利権だけあっても、ビジネスにならなれけば、民間は見向きもしない。地上波ディジタル化の問題だって、世界のどの国でも、インフラとコンテンツの分離を前提とし、それを推進するいいきっかけとしてとらえられている。これがわからないようではディジタルを語る資格はない。

つまり、インフラの仕組みがインタラクティブである必要性はどこにもないのだ。たとえば広告キャンペーンで考えるとこういうことになる。インタラクティブな広告といえば、レスポンスアドが代表的だ。単なる知名度やイメージの向上ではなく、購買や申込といったレスポンスが期待できるキャンペーンだからこそ、レスポンスアドなのだ。広告自体に申込ハガキの印面が刷り込まれていたり、インターネットを利用してすぐ発注ができたりするということではない。みてくれが違うのではなく、期待される効果が違う。コンテンツの形がインタラクティブ性を誘発するものであれば、メディア自体は必ずしもインタラクティブなモノでなくてもいい。

インタラクティブは結果なのであって手段ではない。受け手にインタラクティブな反応を取らせることが大事なのであり、それはコンテンツなりサービスなりの中身の問題だ。決して仕組みがインタラクティブかどうかではない。こういう発想がディジタル時代には重要。まさに世はシェアでなく利益・効率の時代。ビジネスも、水平統合の時代であって、垂直統合の時代ではない。そういう時代に、上り、下りという別のものをあわせ持とうという発想は時代に逆行する。餅屋は餅屋。自分の強いところ、いいところだけ総取りするおいしい発想が、eビジネスの主流だ。受発注からデリバリーまで全部自前でやろうとしては必ず失敗する。自分は得意なところだけやって、そこを総取りする。そのかわり、他のところはもっと専門な連中と手を組んで任せる。そう考えてゆけば、おのずと答は見えてくるだろう。


(00/03/24)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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