インターネットが変えたもの
スマホの普及でインターネットがベタになってからおよそ20年。それまでは、何か革命的なものが現れてきたように「脅威」として捉えられていたものが、あるのが当たり前になってからは昔からあったような日常の一部分になってしまった。それもそのはず、それ以前からあった大衆の生活の一部が、インターネットを利用するサービスに置き換えられたからこと、これだけヒットし、これだけ普及したのだ。
もっというと「安い・早い・ウマい」のデジタル吉野家効果が発揮されて、同じことがよりローコストでスピーディーかつイージーにできるようになったから、インターネット経由のバイパスチャネルを利用するようになったということである。その証拠に、人々の生活時間はそれほど大きく変化していない。日本で言うならば、男女雇用平等法の施行の方が、よほど生活時間配分に変化をもたらしている。
さらにスマホアプリの利用者数・利用時間数などを調べてみると、情報流通としてインターネットが最も利用されているのは「暇潰し」の領域である。かつては通勤・通学の電車の中では、新聞・雑誌や本などプリントメディアを読むか、ウォークマンやラジオなどを聞くかと言うのが暇つぶしの王道だった。それがスマホでゲームをしたりストリームの映像を見たりに変わっただけのことである。
実はほとんどの人は情報エントロピーを下げると言う意味での「情報発信」はしていない。いいねを押したり、昼飯の写真をアップロードしたりするのは、こう言う範疇での「情報発信」ではない。「情報発信」とは、付加価値の高い情報をクリエイトしていることに他ならない。確かにこういう意味で「情報発信」している人にとっては、インターネットの普及が発信の敷居を下げチャンスを拡大することに繋がった。
かつては情報発信には巨大な資金が必要であった。そして資金調達も銀行からの融資などに限られていたので、実質的に巨大な資金を動かすことができる大企業のプロデューサーと組まなくては情報発信は難しかった。結果として、一部の超資産家を除く一般人にとっては、産業社会の時代においては資金調達が可能な大企業を通すことだけが社会にトレンドを創り出す唯一の道だったと言える。
インターネットによる情報発信は、明らかにクリエイターにとって発信するコストを下げるとともに、個人レベルで発信を可能にした。これは「送り手」側にとっては大きな変化だ。実際、資金を動かせるというだけで、才能を持っていなくても業界で大きい顔ができたし、そういう輩も大勢いた。というより、そっちの方が多かったという方がより実際に近いだろう。それが才能を持つ人自らチャンスを作り出せるようになったのだ。
それだけでなく、発信する情報を制作するにも、アナログの時代は多額の資金が必要だった。しかし今は、デジタル化でコンテンツを作るコストも下がった。企画書を持って頭を下げて回るのではなく、とにかく自分たちで作品を作って世間に問いかけることから全てをスタートできるようになった。もちろん、箸にも棒にも引っかからないコンテンツの方が多いのは間違いない。だが、それは市場が選別すればいいだけのことである。面白ければウケる。これが全てだ。
だから、それがショートヘッドの大ヒットになるのか、ロングテールのマニアックな世界のヒットになるのかはさておき、良いモノを作れればそれなりに求めている人に届き、それなりに心を打てるようになった。才能のある送り手が、それを欲している受け手に、直接コンタクトできるようになった点が最も大きな変化だ。市場が小さくなったようにも見えるが、中抜きがなくなったことで送り手にはそれなりのリターンが得られるようになった。
コミケの同人誌では、かなり昔からこのような現象が見られていたが、オールジャンルで起こるようになった。色々な領域で行われるようになったクラウドファンディングが典型的だが、そこそこ金を持っている人は結構いるし、それを投げ銭してくれる人も結構いる。塵も積もれば山となる。暇空茜氏が、その行動に賛同する人々から1億6千万円以上集めたのはそのいい例だろう。その金を引き出しやすくなったのもインターネットの普及による大きな変化である。
事業風土としての日本の弱点は、長らく資金集めにあった。日本における大企業のメリットも、大きな事業を行う際の資金調達の容易さが最大のものであった。その分これまで日本のベンチャーで成功した人は、かなりの確率で「家が太い」人である。親が起業の資金を出してくれたり、親の信用で資金調達ができたりしたことが、創業につながっている。これを打ち破ることができるようになったのは、大きなメリットであるということができよう。
ある意味、インターネットのようなインタラクティブな世界は、それがアメリカのデジタルカルチャーの中から出てきたこともあり、完全な市場原理が完徹している世界である。まさに才能市場原理。才能のある人にとってはチャンスがいくらでも広がる反面、才能のない人はいくら努力しても情実が効かない。やはりここでもコンピュータはコンピュータの上に人を作り、コンピュータの下に人を作る情報社会の原理は貫徹している。
(24/07/05)
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