時の流れに身をまかせ
景気が悪いだ、失われた30年だ、自分のビジネスがうまくいかないのを、何か他人事のように語る「経営者」が日本には多すぎる。しかしそんな「景気の流れに身を任せ」ているのは、ビジネスではないし経営ではない。追い風任せではなく、向かい風に立ち向かってリスクを取りチャンスを掴むのがビジネスの極意だし、自ら肚を括り自らの責任でその舵取りをするのが経営者の役割だ。
カーレースでスリップストリーム走法というがあるが、確かに二番手でピッタリくっついていくのは楽だし省エネだ。しかしそれでは永遠にトップは取れない。トップにかかる抵抗と二番手にかかる抵抗は全く違う。この摩擦を恐れず突っ走る力がなくてはトップは取れない。これはビジネスにおいても同じである。自ら道を切り開いてゆくエネルギーがなくては、マーケットにおける「勝者」にはなれない。
ところが日本の企業は、ずっと二番煎じばっかりやってきた。まあ、最初が後発で「追い付き追い越せ」からスタートしたのが習性になってしまったのだろうか。それでも高度成長で市場が拡大していたため、ジェネリック医薬品よろしく後追いでもそこそこシェアを確保することができた。だがこの結果、自分で新しいことを始めてチャンスを掴むのがビジネスの真髄という考えは、日本の実業界では共有されなかった。
その分、リスクはチャンスとばかりにゲームチェンジャーになろうという企業は少なく、流行っていることの二番煎じで時の流れに乗るのが経営という大いなる勘違いが定着してしまった。これではコバンザメ商法というか、景気が良すぎてトップランナーが全部のニーズを食いきれなかったおこぼれを美味しく頂くにすぎない。常に供給不足で売り手市場、商品さえあればいくらでも売れるという高度成長期にしか通用しない経営戦略だ。
自分自身に推進力がないので、結局景気の波に乗って追い風を受けるしか成長の可能性がない。その分、景気の良し悪しを過剰に気にするし、他力本願で政府の経済政策による景気の向上にばかり頼ることになる。コロナ騒動でその実態があらわになったが、確かに00年代以来、各種補助金や公的支援金をアテにする人達が異常に増えている。公金チューチュー問題も、元はバラ撒き行政が産んだものだ。
本当の経営者は、景気の波ではなく自力でチャンスを捕まえる。官の補助金に目が眩むようでは、そもそも経営者には向いていない。実はビジネスというのは常に社会や時代に合わせてリニューアルしていかなくては腐ってしまうものである。バラ撒きに頼る時点で、必要なこの努力を怠っていると言わざるを得ない。そんな会社はいずれにしろどこかで朽ち果てて続かなくなる。補助金など寝たきり老人の延命策のようなものである。
不景気の時期なら、不景気の時期なりにビジネスチャンスはある。これがビジネスの真髄だ。景気の悪い時期なら、ペネトレーション・プライシングの価格戦略でコモディティー商品の低価格攻勢を掛ければ、圧倒的なシェアアップの可能性がある。相当な資金力や経営リソースがあることが前提となるが、レッドオーシャン市場での潮目を掴むのは、ある意味こういう時期の方がチャンスがある。好景気の時期より勝ち目が出てくるともいえる。
ただこれを実現するためには時流を読む力、決断する力、組織を引っ張ってゆく力が必要である。受身の経営者にはできない。そもそも経営者たるもの、サラリーマン社長ではいけないのだ。自ら肚を括ってリスクを取って意思決定することができる、リーダーシップを持った人しかトップの椅子に座れる資格はない。そして、そのような人間性は勉強や努力ではどうしようもないミームによってしか生み出されないのだ。
(24/07/19)
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