パラダイム・シフト





コーホート分析でいう「世代効果」のような、ミームによる刷り込みが強く影響する領域においては、世の中の価値観が転換するのには20~30年程度の年月がかかる。地形の変化のように、短期的視点では毎年ほとんど変化しないように見えるが、わずかづつの変化が積み重なって、長期的視点から見ると確実に変化が起こっている。そのスパンが20年から30年に渡ることが過去の事例からは一般的ということができる。

歴史学で主として取り扱う、政治や経済といった人為的に作られ法規制の枠に縛られているものは、規則が変わればその日からルールが変わってしまう。1972年5月の沖縄返還の6年後、1978年7月29日午前10時を以て交通ルールがアメリカ式の右側通行から日本式の左側通行に一気に変更されたことなどはその典型的な例である。制度は変わっても人の習性は変わらないので、直後は交通事故が続出したという。

このように生活感覚に近いものは、そう簡単には変化しないのだ。老人が去り若人が参入していく中で緩やかに変化はしているものの、労働人口が総入れ替わりしない限り、全体としての価値観は変化しないからだ。これが「世代効果」の特徴である。団塊世代がシニア世代化しているが、団塊世代は団塊世代のまま老人になっているので、それまでの老人世代とはかなり意識や価値観が異なるのはその事例である。

政治という意味では、1945年8月15日の玉音放送は大きな節目である。しかし人々の生活という意味では、玉音放送が正午にあった以上、戦時中に作った昼飯を終戦後に食べたわけで、そこには何も節目はなく連続していた。人々の生活が明治、や江戸時代以来続く和式のスタイルから、今に連なる洋風のものになるのは1964年の東京オリンピックから1970年の大阪万博の間である。生活において戦前からの流れが変化するまでに、終戦から四半世紀がかかっている。

日本に近代的な工業地帯が生まれ都市生活者としての大衆が現れ始めたのは、富国強兵政策が効果を生み日本が新興工業国となった19世紀末から20世紀初頭のことである。これが号砲となって日本の大衆社会化がスタートする。そして世界的に大衆社会化のメルクマールとなる男子普通選挙の実施が1925年。19世紀的な貴族社会から20世紀的な大衆社会化するのには30年近くかかったことになる。

男性と女性の社会的立場の変化でもこの傾向は見られる。男女雇用平等法の施行はちょうどバブルに向かう時期でもあり、その後80年代末から90年代にかけては「アッシー君・メッシー君・ミツグ君」などに象徴される逆に歴史上でも稀な女性上位な時代が訪れた。振り子の振れがバランスして真の意味で男女が平等になるのは、男女の間でもワリカンが普通になる00年代末までかかったといえる。

こうやってみてゆくと、およそ20~30年をかけて生活感はパラダイム・シフトすることがわかる。大体四半世紀・25年がその変化の期間である。世紀の変わり目頃のネットバブルブームが、社会・経済の情報化の基点であった。そこを情報社会元年とするならば、ちょうど来年2025年は情報社会的な生活感がパラダイム・シフトを迎える潮目の年。生活レベルでの情報社会があたりまえになる年といえるだろう。

そう考えるとこの数年起こっている変化の意味がよくわかる。左翼・リベラルが支持を失い、マス・ジャーナリズムや学識者・有識者の権威が失墜し、官僚のような秀才エリートの化けの皮が剥げる。彼等は皆、産業社会的なスキームでこそ権勢を誇れたものの、情報社会では必要とされない存在であることが、誰の目にも明らかになってきたのだ。もはや彼等についているのは産業社会的価値観から抜け出せない後期高齢者だけだ。

そういう意味では、我々はこの情報社会へのパラダイム・シフトの真っ只中を生き、それを身をもって体験できたのだ。これは人類史的にも極めて貴重な体験だ。その変化がどこから起こり始めて、どう広がったのか。それぞれの身の回りの体験を語り継ぐことが、未来の人類への貴重な贈り物となる。こういうオーラルヒストリーを集めることは誰にでもできる。今からみんなで始めようではないか。明日の人類への伝言を。


(24/08/02)

(c)2024 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる