レイヤーの時代





情報社会の特色として、全体最適を実現するために必要とされる社会構造が、産業社会の時代の垂直統合型から水平統合型に変化することを見逃してはならない。特にビジネスチャンスを捕まえる上では、この変化への対応が必須ということができる。時代についてゆけずに自滅していった企業や組織のほとんどは、この社会構造変化の罠に嵌ってしまったことが原因となっていると言ってもいいだろう。

これはそもそもデジタルカルチャーの持っている本質的な特性に由来している。アナログ時代の機器設計においては、オーディオはオーディオ、ビデオはビデオというようにそれぞれ専用のハードウェアを作る必要がある。従って垂直統合型にならざるを得ず、レイヤで棲み分ける水平統合型を取り入れようとしても、縦横のクロスする小さなセルになってしまい、かえって効率が悪くなる結果となる。

デジタル化してからの機器設計は、パソコンやスマホが典型的だが、プラットフォームとしてのハード機器は何をやるのであっても共通化しそれ一つあれば良くなる。その上でアプリケーション・ソフトウェアを入れ替えることで、どんな機能でも実現できる。アプリを変えればどんなコンテンツにも対応してしまう。このようにハードウェアとソフトウェア、コンテンツにレイヤが分かれて最適化する水平統合型のになるのが特徴だ。

この機能面での変化は、当然それを生産したり利用したりする経済活動の形も変えることになる。かくしてデジタル化した情報社会においては、ビジネスモデルにおいても全体最適を図るのであれば、同じように水平統合型にならざるを得ない。アナログの時代は、メーカーにおいては製販一体化した垂直統合が儲かった。コンテンツビジネスでも地上波の放送局のよう制作からディストリビューションまで全部抱えた垂直統合が基本だった。

これはアナログの時代であった産業社会の段階においては、ポーターが「競争の戦略」で述べたように、経営戦略としてはレッドオーシャン市場の中で差別化により勝ち残り、「勝者総取り」を目指すしかなかったからだ。原材料の仕入れ先にしろ顧客にしろ、バリューチェーン全体を「囲い込む」ことが、熾烈な競争市場においては競争相手に対して有利なポジションを確保することにつながったため、皆が皆垂直統合を目指した。

しかし突き詰めて考えると、ポーター流の競争戦略にはコモディティー戦略たる価格戦略かブランド戦略たる付加価値戦略か、そのどちらかしかない。その中で日本のメーカーはその両方を同時に狙う、「高付加価値商品を比較的廉価で」戦略を編み出し、自らの強みとした。それが世界的な貿易摩擦を生み出すに至ったのがバブル期である。その意味では、少なくとも1980年代においては成功した戦略と言える。

が、この戦略で生み出せる製品は、あくまでも「改良型」でしかない。基礎的な研究開発を重ねて今までになかったものを戦略的に生み出すのではなく、すでにあるジャンルに対して作り込みを行い戦術的な改良を創発的に行うことで、比較的ローコストで高付加価値・高機能の製品を生み出すのが得意技であった。日本のメーカーにはこの成功経験しかなかったから、デジタル化の波に乗り情報社会へ移行することが困難だったのだ。

デジタル時代の到来、情報社会化の波によって、アナログ時代の垂直統合型から水平統合型へと変化したマーケットの構造には、パラダイムシフトが必要で「改良」では対応することができない。日本の大メーカーが時流に乗り遅れた理由はここにある。それが組織構造的なものである以上、やはり生き延びることは不可能であった。大メーカーという垂直統合モデル的な組織自体が、もはや存続不可能なことをきちんと理解すべきであろう。


(24/08/09)

(c)2024 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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