妬む人
21世紀の情報社会になって、見えと背伸びの産業社会から一変、ありのままの自分が受け入れられるのが当たり前の社会になった。その裏には、見栄と背伸びの底の浅さが情報社会においてはすぐにバレてしまうようになったということがある。新聞社がいかに偉そうな正論を言っても、それがフェイクニュースだすぐにと見破られるようになったのと同じ理由だ。
産業社会は右肩上がりの高度成長がベースになっていたので、「バスに乗り遅れるな」とばかりに景気の追い風に乗ってイケイケ・ドンドンやっていれば、オーガニック・グロウス程度のご利益には必ずありつけた。社会がバラ撒きをやっていたようなものだ。その一方でポテンシャルのある人は、それ以上の大きなチャンスを掴んで大成功を収め、大儲けすることも可能だった。
そういう成功者を横目で見て、「俺もありつきたい」とばかりに自分の実力以上の勲章を欲しがる人も多かった。こういう人達はそもそも能力がないので、いくら頑張ったところで得られる成果は自ずと知れた範囲。それが悔しいものだから、自分も成功者の一員だという顔をしたいがために、見栄と背伸びに走るようになる。ウソも100回つけばホントに見えるというヤツだ。
それは、自分より背の高い人間は背が高いことはわかってもどのぐらい高いの正確にはかわからないのと同じだ。大多数の一般人から見れば、真に実力のある人間と上げ底の人間とを区別することは難しい。これをいいことに騙し続けてきたのだ。しかし、情報社会になると真実が丸見えになるので、こういうハッタリは効かなくなる。情報社会においては、ウソは通用しないのだ。
だが一部に、素直にそれに納得できない人達がいる。今でも20世紀のように見栄を張り背伸びをして、ワンランク上の自分に成り上がりたい人達だ。しかし今見てきたような理由で、情報社会にはそういう人たちの居場所はない。そこで彼等は焦り出す。しかしその焦りの向かうところは、おいおい他責にならざるをえない。自分が不遇なのは、他人が差別するせいだとひがむのだ。
そんなことはない。結局は自己責任なだけだ。そもそも実力がない。それをウソで取り繕おうとしたのがそもそも問題なのだし、その結果が自分に降りかかってきているに過ぎない。それを認めたくないし、ウソの常習犯であるがゆえに自分自身真実とウソの区別がつかなくなり、方便だったものがリアルと信じてしまっているから「相手の方が悪い」という結論に至ってしまうのだ。
見てくれだけで取り繕うと思っても、そうは問屋が卸さないのが情報社会。360°から見えてしまうので、誤魔化しようがないからだ。その典型が、ブーメランでお馴染みの「左翼・リベラル」や、張子の権威がバレた「有識者」、先ほど挙げたフェイクの塊の「新聞社」などである。これらの存在は、メッキが剥げた産業社会の遺物であることが全てを語っている。
まあ、そもそも見栄をはったり、背伸びをしたりする神経の裏には、他人の成功を妬む精神が潜んでいる。そういう人達なのだから、最後は「相手のせいだ」と妬むのもむべなるかな。まあ、こういう人達はすでに生きた化石で絶滅危惧種なのだから、腹を立てるのもエネルギーの無駄だ。動物園にでも入れて保護した上で、その最期をみんなで観察しましょうか。
(24/10/11)
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