公金ちゅーちゅー政党の終焉





第50回衆議院議員選挙はある程度予想されたことだが、自由民主党は議席を減らす結果となったが大敗というほどではなく第一党は守ったし、立憲民主党も大幅に議席を伸ばしたものの第二党のポジションには変わりなかった。中堅野党も日本維新の会は若干の減少はあったものの、選挙前に言われたほどには議席を減らさず野党第二党のポジションはキープ、その一方で国民民主党は大幅に議席を伸ばした。

怒涛の圧勝も圧敗もなく、限りなく均衡に近付いてしまうというのは、この数年の先進国での選挙の傾向でもある。そういう意味では、キャスティングヴォートを握ることになる中堅野党の存在感は増してきている。これはとりもなおさず政界の構造変化が起きやすくなっていることを意味する。その結果は国会が開かれるまでに見えてくると思われるので、現時点での言及は行わない。

その一方で、退潮が目立った政党がある。公明党と日本共産党である。与党と野党と立ち位置こそ違うものの、両党には色々な面で共通点が多い。だからこそ競合し、支持者を奪い合う(創価学会と共産党というカタチではあるが)ことは高度成長期から続いている。当時は世情が不安定だったこともあり、その競争は熾烈を極め、休戦のために「創共協定」が結ばれたほどである。

どちらも会員・党員の組織票頼みという選挙の仕組み自体も似ているし、昭和時代からの中高年・シニアが支持者の中心ということも一緒なので、働き盛りや若者の支持が薄く、支持者の平均年齢の着実な上昇とともに、党勢が減少していくこともむべなるかな。そういう意味では「お悩み」まで一緒でということになるのだろうが、それだけでは今回ドラスティックに支持を減らしたことは説明できない。

特に公明党は、建前としては「与党の中で自民党の暴走を防ぐお目付け役」という体裁をとっていたので、彼等が主張したように「裏金・不記載問題」を重視するのであれば、この問題をゆゆしく思う与党支持者が、比例区で自民党ではなく公明党に投票することで追い風になってもおかしくはない。ところがそれが全く通用しなかったのは、公明党の本質が理解され方弁というのがあからさまだったからだ。

日本共産党も建前通り「与党に警鐘を鳴らす野党」として理解されているなら、党勢を伸ばすチャンスだった。それどころか、立憲民主党も共産党との共闘には反対で党内の「活動家」にも睨みを効かせられる野田さんが党首になったことが、今回の議席拡大につながったことは間違いないぐらい、反与党の支持者の間でも共産党が胡散臭がられていることがはっきりとした。

では、この両党が見放された理由はどこにあるのだろうか。それは特に地方自治体などでは「陳情するなら公明党か共産党」と言われるぐらい、公金をむしり取ってくるのが上手い政党というところである。横断歩道を作らせたり、生活保護を認めさせたりするのは、まさに公明党・共産党の地方議員の本職と言ってもいい。そのくらいそのご威光は強力だし、それが支持を集めている理由でもある。

まさに「公金ちゅーちゅー」の強い味方だからこそ、そういうのを求める輩が支持者としてあつまってくる。そっち系の「黒いNPO・黒い公益法人」には、必ず公明党か共産党の中央・地方の議員が顔を出したり支持したりしているのはもうお馴染みである。しかし、そもそもそのスキームが成り立ったのは、右肩上がりの高度成長期ならではのこと。失われた30年で財源は「ない袖は振れない」状態だ。

氷河期以降の世代は、身に染みてこの事実を理解している人が過半数だ。だからこんな絵に描いた餅は誰も支持しない。未だに高度成長期の刷り込みから抜け出せず、また天からお金が降ってくる「景気のいい」時期が来るんじゃないかと夢想しているのは、高度成長期を体験したシニア層だけになった。それがついに分水嶺を越して破綻の谷底へ転がり出したのが、今回の総選挙と言える。

言い方を変えれば、「公金ちゅーちゅー」のようなゼロサムレースの取り合いでいい思いができるという夢を見られるのは、もはや絶滅危惧種の少数派になったということだ。あとは時間が解決してくれるだろう。公金ちゅーちゅーがなくなれば、増税せずとも財政再建は可能だ。現代日本を蝕む持病が一気に快癒する。というより、病根はここなのだ。今回の総選挙は「21世紀日本の起点となった」と、後世の歴史家は語るであろう。


(24/11/01)

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