啓蒙民主主義モデルの崩壊





産業社会における普通選挙制とは、詰まるところ秀才エリートが民衆を騙して権力の座につく手段となっていた。そもそも育ちが庶民と変わらない秀才エリートにはノブリス・オブリジェ的発想はなく、天下りしか頭にない霞ヶ関の官僚を見ればわかるように、権力とは自分の私利私欲を利するための椅子でしかない。そして普通選挙制の議会制民主主義では数だけが力で、数さえとれば権力を握れる。

それはファシズムにしろポピュリズムにしろ、20世紀のエキセントリックな政治形態は全て「大衆の熱狂的な支持」をベースに成り上がったものであることが示している。そして「大衆の熱狂的な支持」を権力としてのバックボーンにするには、普通選挙制に基づく議会制民主主義が一番相性のいい政治システムである。かくしてヴァイマール憲法の大衆民主主義がナチスを生み出すことになる。

本来議会制民主主義における議会は、株式会社における株主総会のように、国家や自治体に対するステークホールダーが権力の暴走を監視し諌めるためのシステムだった。そのためのシステムとして、議会制民主主義は株主の発言権・投票権は保有する株数に比例するように、納税額に基づく制限選挙から始まった。自分の納めた税金が無駄遣いされないよう監査するためのシステムとして機能した。

それが社会の大衆社会化と共に、誰でも一人一票を持つ普通選挙に基づく議会制民主主義に変化した。それでも立憲君主制のように有責任階級が政治的リーダーとなっていた時代は、「坂の上の雲」ではないが「公」を第一に考える政治を行うことができた。というより、本来イギリスのように階級社会が残っていた国だからこそ、普通選挙制が極めて順当に機能することができたということができる。

しかし普通選挙制度は、「公」より「私」を優先する大衆出身の秀才エリートを集めた官僚制と結び付くことにより、数を利用して私利私欲を追求するという危険なシステムに変貌してしまう。かつての東欧圏の共産主義政権が典型だ。「同じ穴の狢」に過ぎない大衆出身の秀才エリートが、権力と特権を独占したいがために、色々な手練手管で「大衆」を懐柔し、員数集めにより数の力を得る。

このポイントは、上から目線で「ここまで来れるよ、ここまでおいで」と煽るところにある。貧しく飢えた大衆が持っている「成り上がりたい願望」を刺激することで、みんなが背伸びをしてついてくる。ジンメル以来の産業社会の大衆特有の「リーダー・フォロワー」利用して、大衆を騙すことで数の力を得る。まさに大衆社会の特性をフルに生かした権力の掌握である。これを「啓蒙民主主義モデル」と呼ぼう。

だが、権力の源泉が産業社会的な大衆の行動意識にある以上、この方程式はキャズム以降の社会には通用しない。啓蒙という偽装が成り立たなくなった情報社会においては、権力を握っている者が「数」を我が物として自己正当化を図るというメカニズムが機能しなくなった。そして同時に、それまで信じられていた「権威」の多くが、このような「砂上の楼閣」で虚構ののものであることがあらか様になった。

上から目線を拒否し、横から目線で繋がるようになったポストキャズムの社会では、庶民の中から出た秀才エリートでは、権威がメッキなのが誰にもわかってしまった。ヨーロッパのように元々階級社会の国々ならいざ知らず、古くから市民ベースの社会が成立していた国々では、上から目線でモノを語る根拠はどこにも無くなったのだ。こうなると秀才エリートは「裸の王様」に過ぎなくなる。

「同じ穴のムジナ」が偉そうにする姿など、今や誰もついてゆかない。そこで出てくるのが「バラ撒き」だ。上から目線で威張っても虚勢にしかならないのなら、実弾で引きつけようという作戦だ。しかし、これも「金の切れ目が縁の切れ目」という刹那的な関係しか築けないことは、常に「バラ撒き」だけで庶民を引き付けてきた中国の歴代王朝の末路を見れば一目瞭然だ。

いずれにしろ、産業社会が過去のものとなるとともに、産業社会的なスキームは皆用済みとなってしまう運命にある。上から目線の「啓蒙民主主義モデル」は、政治制度としての生命を失った。だが、それに変わる制度を確立するにはまだ時間がかかる。その間にはまだ新旧のせめぎ合いが続く。これを乗り切った時に真の意味での21世紀らしい社会を築くことができるのだ。


(24/11/29)

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