インフルエンサーの終焉





マスメディア等が考える「インフルンサー」は、かつての大衆社会、産業社会的なな流行伝播の考え方を引きずっている。彼等はインタラクティブな社会におけるインフルエンサーを、ロジャースのイノベーター理論のイノベーターやアーリーアダプターと同様な存在として捉えてしまっている。こういう上から目線の情報伝播の捉え方は、ジンメル以来の20世紀的な発想と言わざるを得ない。

インタラクティブメディアは、Google等の検索エンジンが学術論文のデータベース検索から生まれてきたことからもわかるように、正解や答えを求めて能動的に検索する使い方から始まった。このような使い方が基本だったため、初期においては自分の業績をアップロードする一方、同じように業績を公開している研究者の間で問題意識に応じて検索し合える環境として構築・利用された。

この時期においては、利用者からのアップロードとダウンロードの情報量は均衡しており、まさに当時言われたように「誰もが発信者となる」環境であった。この時代においてはインターネットユーザの間で、年功ではなく専門性の深さによるものではあるが、理系の研究室の教授と大学院生のようの「師弟関係」が構築され、確かに「師匠格」の人がインフルエンサーとしてもてはやされた。

しかしスマホの普及以降、インタラクティブメディアをめぐる環境は大きく変わり、一気に大衆化が進んだ。老若男女誰もが使うベタな情報環境となった。このような環境下では、それ以前のレガシーなメディア環境と同様に、アップロードよりはダウンロードの方が圧倒的に情報量が多い片務的な利用が主流になった。これにより大半のユーザにとっては、インタラクティブメディアもまた受動的に利用するものとなった。

時を同じくしてキャズムが発生する。これもまた20世紀の産業社会的な見方からすると、インタラクティブメディアの急速な普及がキャズムを生み出したように捉えられがちがだ、それは擬似相関であり因果関係にはない。1980年代以降、それまでのように社会の基盤自体の変化が少なくなり安定化した時代になったことがそもそもの原因であり、その結果としてキャズムやインタラクティブメディアの普及があるのだ。

すなわちキャズムの発生もインタラクティブメディアの普及も、「上から目線」が無意味になったことの結果である。かつて産業社会においてはそのモチベーションが活力源とさえ言えたのだが、今や人々は背伸びをして見栄を張り「一つ上」に見られるための「努力」をしなくなった。それではなく、みんながやっていることを自分もやることで、「みんな」と一体化する。これがポストキャズムの時代の流行の原動力である。

インタラクティブメディアの使い方もそれに従い、「みんなが今何をしているか」を横から目線で確認するツールとなった。検索するのではなく、あたかも今和次郎の「考現学」のように、今の瞬間のトレンドを流し見る。それゆえ、インスタグラムからオススメでランダムに流れてくるタイムラインの映像や画像が、今を知るための重要な「窓」としてもてはやされ、それを「模倣」するのだ。

確かに「模倣」というモチベーションは、ジンメルの頃から変わってはいない。それ以上に、模倣は人を含む類人猿の強みだ。「猿真似」という言葉があるぐらいだから、模倣により文化が伝播していったのは、類人猿の頃からの慣わしだ。この理は、高崎山の猿の間で芋を洗って食べる習慣がある時期から模倣により広まったという、ニホンザルの生態的研究の成果にも表れている。

しかし、その「模倣」の相手は、時代と環境により変わってゆく。トンがって目立つ人がいくら主張しても、それを背伸びしてマネる人は、ポストキャズムの時代にはいない。ボリュームゾーンは、ボリュームゾーンの中同士で模倣し合い、かつてのイノベーターやアーリーアダプターは「キモズム」の向こう側にいる「浮いている人」でしか無くなってしまったのだ。

もちろん、それはキャズムの外側のマニアの世界では続いている。そのような人たちの間ではまだ古典的なインタラクティブメディアの使い方がなされ、古典的な師匠格という意味でのインフルエンサーはいる。その一方でボリュームゾーンにおいては、顔の見えない不特定多数がそのまま現代的なインフルエンサーになっている。模倣の相手はいるのだが、特定の個人ではない。ここが情報社会における「流行」の特徴である。

「隣の匿名の誰か」は模倣の対象となるが、目立つ「インフルエンサー」になってしまったら、自分たちとは異種の存在でもはや模倣の対象にはならない。これがロードサイド的なカルチャーが主流となった21世紀的な情報社会の掟である。ファストファッションはトレンディーでおしゃれな人が着ているから流行るのではなく、みんな着ているから安心して選べる。ここに気付いていれば、この変化は読めたはずだ。


(24/12/27)

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