戦略を立てるということ





日本人には戦略的にものを考えられない人が多い。日本の企業が海外進出しても、短期的には成功したものの、中長期的には失敗に終わることが多い。これも、戦略性の欠如が原因だ。日本の風土環境と近代以降の教育のあり方が重なって生じた現象と考えられる。野仲郁次郎先生の名著「失敗の本質」を紐解くまでもなく、これは今に始まったことではなく、少なくとも明治以来の近代日本の組織の宿痾ともいえる。

目先の課題を解決するのに長けた戦術的には巧みな人は多いが、大所高所からのビジョンを持てる人は非常に少ない。目先の課題解決に特に特化したのが秀才である。この結果、秀才エリートを重用した近代日本の組織は概して戦略性が弱いことになる。順風満帆な環境だとそれでもなんとかなるが、一旦想定外のリスクが発生すると、戦略的な対応が必要なため極めて脆弱になりがちだ。

確かに「追いつき・追い越せ」のテイクオフ期においては、まずは目標は「追いつく」ことにあり、その先の戦略的な目標は必要なかった。この時期の人材育成としては、戦略的視点を持つ人材を育てることより、目先の課題をスマートに解決することに長けた秀才エリートを量産することを優先する必要があった。それはひとまず成功し、軍事大国としての戦前の経済成長、戦後の復興からの高度成長をもたらした。

しかし、一旦追いついてからは自ら次のステップに対して戦略を立てることが必要になる。しかし日本の多くの企業や組織、官僚機構や日本という国そのものが、そのための準備を怠っていた。肚を据えて戦略決定ができるような人材をリーダーに抱えていることは稀であった。このためジャパン・アズ・No1と呼ばれ、確かに「追いついた」バブル期以降、日本経済は舵の壊れた船のように迷走し出した。

例外は、オーナー・ファウンダーが存在し、その個性が際立っている企業である。21世紀になってからもグローバルにブランド力を持つ日本企業は、オーナー・ファウンダーが明確なところばかりであることがそれを物語っている。オーナー・ファウンダーが健在なところはもちろん、アイコニックにオーナー・ファウンダーのイズムがDNAとして受け継がれていることで、戦略的対応が可能となっている。

この理由は、オーナーやファウンダーには逃げ場がないからこそ、常に肚を括って決断しなくてはならないところにある。そして創業者ならではの夢を持っている。夢があったからこそ、それを信じて創業したわけだ。夢を実現するためのプロセス、それが戦略となってくる。この「夢」と「決断力」こそが戦略を戦略たらしめている。戦略とは、あるべき理想の自分の姿を夢見ることから始まるのだ。

このようなプロセスは、今でこそ「バックキャスティング」と言われるようになった。夢をきちんと見据えたうえで、それを実現するにはどうしたらいいかを考えるのが戦略だ。だからこそ夢見ることが、戦略の原点であり基本となる。夢のない戦略はあり得ない。夢と戦略とは抽象的と具体的という違いこそあるものの、同じものの裏表である。すなわち夢を見れない人には、戦略は立てられないことになる。

現実からスタートして、それで次に何ができるかを考えたのでは戦略にはならない。現状を前提としている限り、それは戦術であり、戦略レベルにはなりようがない。しかし、日本の企業や組織においては、こういう演繹的に積み上げた計画を持って戦略と言いがちである。想定内のプランからは、想定内の結果しか出てこない。かくして環境自体が想定外の変化をきたした時に対応しきれず破綻してしまう。

バブル崩壊以降、日本の数多くのメーカー大企業が破綻したり不祥事を起こしたりして消えていった。その理由の多くが、好景気を前提とした戦術のみの小手先対応しかしてこなかったため、環境変化に対する戦略的対応を取ることが不可能だったことに求められる。決して景気が悪いせいではない。景気の悪さに対応できない戦略性のない体質が問題なのだ。

今までとは連続的でない、決定的なブレークスルーを内包指定いるのが戦略だ。だからこそ、過去の延長上にない、抜本的に新しい対応が可能になる。その推進力こそが夢である。夢を見ること、それを実現するために現状とは違うレベルの何かを創り上げること。これが戦略には不可欠なのだ。秀才エリートには夢は見られない。そもそも秀才エリートの道を選んだことが、いかに夢のない人間かを示しているワケだし。


(25/01/03)

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