歴史の転換点





日本の歴史における一番の転換点をあげるなら、戦国時代までの自然淘汰社会と、生産力が高まった近世以降の差がつく競争社会を分けた、近世の到来であろう。生活文化にしても日常の習慣にしても、現代日本社会のルーツは江戸時代までは容易に遡れ連続性を見出せる。しかしそれ以前の日本社会は、アジアのどこかの国とはわかるが、今の我々とは全く違う別の国にしか見えない。

絶対的な生産力で総人口が規定されていた古代社会の掟は、長らく日本列島における社会のあり方を縛ってきた。時代とともに徐々に生産力が高まった分、わずかづつではあるが全体の規模が拡大することになる。とはいえ豊作の時の生産量がピークのため、冷害や戦役などにより生産量が低下することで人口のピークをキープすることができないこともしばしば起こった。つまり食い物がなくなって飢え死にするのだ。

このようにカツカツの生産力しかないために生きるか死ぬかだったのが、近世に入って新農法の発明や品種改良、治水工事による新田開発といった生産力の高まりにより余剰生産物が生まれるようになると、その心配は薄れることになる。それでも江戸時代はミニ氷河期だったので、極端な冷害がしばしば襲い、飢饉が発生するとともに一揆が引き起こされることとなった。

とはいえ、押し並べてみれば余剰生産物の蓄積ができるようになったことは間違いない。それまでのように収奪するだけではなく、勤勉な努力により富を生み出せるようになったのが、洋の東西を問わず近世社会のメルクマールである。かくして近世以降の社会においては、分かれ道の行く先は生きるか死ぬかではなく、豊かか貧しいかに変化する。

ここに生きてゆくことの意味が、文字通り命懸けという後向きから、どれだけ成功できるかという前向きへのコペルニクス的な転換が行われることになる。まさに野生の動物と同じような自然界のバッドサイクルを脱し、人類ならではのグッドサイクルを築けるようになった。これは何も日本に限らず、現在一定の経済成長を遂げている国においてはその時点の前後のずれはあるもののの、共通して持っている通過点だ。

それまでのように、生きてゆくためには相手の財産を略奪しても仕方がないという社会を脱し、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」ではないが、努力してきちんと結果を出す人が結果として報われ富むようになる社会がやってきた。その結果として、いかに努力しても成果を出せない人、そもそも結果を得ようとしない人はバスに乗り遅れることになる。

これがその後の近代社会、現代文明を築く礎となったことは言うまでもない。変わってゆくこと、進歩することを善とする気風は、この時に生まれたものである。それ以前の社会が今の目から見ると停滞的で変化に乏しいものに見えてしまうのは、時代感覚として変化することを必ずしも肯定的に捉えていなかったからである。その方が生産力を伸ばせない段階においては、より合理的だったからだ。

江戸時代に作られた歌舞伎や落語は、古典的ながら今でも共感を呼ぶ人の描写や人情噺がある。それは近世の江戸町人の生活感覚がそのまま現代日本人にも引き継がれているからだ。そしてそれは転換点以降の話だから成り立っている。それ以前の歴史を見つめる時には、現代人的感覚は通用しないものがほとんど(通用するものもないわけではない)であることを注意しながら読み進める必要がある。


(25/01/10)

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