不幸と幸せ
方丈記の「夫、三界は只心一つなり」ではないが、幸せになるかどうかは自分の心、すなわち内面の問題であって外的に何かが満たされることによって実現できるものではない。物欲・金欲のような煩悩には限りがなく、さらに上、もっと上を求めてしまうものなのだ。そしてそれにピリオドを打って現状の良いところを見つけることができるようになるには、心が見つめている向きを180°切り替える必要がある。
高度成長が続いていた産業社会の時代なら、永遠に続きそうに見える右肩上がりの先に、今はまだ見えていない幸せがあるのではないかという淡い期待を皆が持っていた。そしてそれを追い続けることで経済の成長を実現することができた。しかし、21世紀の情報社会では、それは単なる幻であり追っていったところで決して満たされることははなく、ただただ煩悩だけが増え続けるに過ぎないことが見えてしまった。
凡夫であっても見栄や背伸びの先には決して幸せはないことが理解されるようになったのだ。それは安定成長になるとともに、社会環境の変化が小さくなり、親の世代も子の世代も同じような環境の中で社会生活を送るようになったことが大きい。同じようなパターンがニ世代以上続くようになると、さすがに人生の選択の幸福・不幸の分かれ目が見えてくる。そしてそれは物欲・金欲・名誉欲といったものとは無縁であることも理解される。
この20〜30年を見渡すと、特に地方出身者にとっては「結婚して世帯を持てるか」というシビアーな踏み絵を目の前で見せつけられていることがわかる。地元で仕事を見つけられた人は幸せである。20代末になれば、結婚して家庭を持ち子供もいる。まさに絵に描いたような幸せだ。しかし都会の大学に進学して都会の会社に就職した人は、20代後半になってもブラックな会社員生活にハマってひいひい苦しんでいる。このような事例を見ながら育ったのだ。
かつて高度成長期の頃は、地方出身者は都会に出て一旗あげることが夢であり幸せであった。それは都市部と地方との間で済力や民度の格差が歴然とあり、都会に行かなくては経済的な成功を掴めなかったからだ。しかし、ショッピング・モールの展開により全国の生活レベルの均質化が進む一方で、バブル崩壊以降右肩上がりの好景気は期待できなくなった。かつて都市部が持っていたメリットはことごとく失われてしまった。
地元で安定した生活を掴む方が、ずっと幸せな人生を送れることが、この30年でしっかり定着した。比較的産業があり、雇用機会も多い北関東や南東北などではこの傾向は顕著だ。その一方で、そもそも地元に充分な産業基盤のない秋田や青森などでは、地元で働きたくとも雇用機会がほとんどない。生きるため、仕事を得るためには嫌でも大都会に出て行かなくてはならない。これは二重の意味で不幸である。
こういう視点からすると、平成の30年間を経て、昭和的な価値観が完全に崩れてしまったことがよくわかる。結婚して世帯を持つことが幸せの基準だとは思わないが、特に男性の場合一生結婚できない人の比率がこのところ際だって高くなっており、簡単には手に入れることのできないステータスになっていることは確かだ。そういう意味では、結婚を現代における「高嶺の花の望み」としてとらえることは妥当と思われる。
世帯を持つという面から見ると、女性の立ち位置も大きく変わってきている。昭和的な男性から「モテる」女性は、今の時代なかなか結婚のチャンスに恵まれなくなった。その一方で、「なごみ」を提供できるムチムチしたイナたい子は、いち早く結婚してしまう。まあ、なごみ系が早婚という傾向は今に始まったものではなく、すでにバブルに向かう1980年代には起こっていた。
昔のバブル時代に、札幌にデブ専パブ「ホルスタイン」というのがあった。大変繁盛していたのだが、経営者には大きな悩みがあり、何度も経営の危機に晒されていた。それはホステスの女の子がすぐに客と結婚して店を辞めてしまうからだ。このため店にふさわしいぽっちゃり女性のリクルーティングが大変だったという。
その一方で美人でチヤホヤされた女性は、婚期を逸しやすい。男性からチヤホヤされ続けることで自分の外見的な評価を過信するようになり、もっといいチャンスがあるのではないかとリスクに賭けすぎて折角のチャンスを失うことが多いからだ。そして見栄や背伸びをしなくなった分、「いい女を連れているカッコいい自分」という昭和的な価値観から男性が自由になったことも大きい。
いずれにしろ、金で買える「そと見」では、いくら金ピカにしたところで幸せにはなれないことが、大衆レベルで広く認識されたのが情報社会の21世紀ということになる。しかし未だにこの変化に気付いていない人も、昭和的文化の中に育った中高年には結構多い。まあ、昔と違う意味での「世代間の断絶」が生まれているというべきか。とはいえ、今でも見栄を張ってくれる中高年がいるから、マーケティングがやりやすいというメリットもあるのだが。
(25/01/17)
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