組織の終焉
産業社会が高度に開花した20世紀は組織の時代だったのに対し、情報社会が実現した21世紀は個人の時代だと言われる。20世紀型の社会にどっぷり浸って育った我々は、ともすると社会は組織が基本となって運営されるものと思いがちである。しかしそれではこれからの時代の人類社会の在り方を想像できないし、世を渡っていくこともおぼつかない。
そもそも組織とは、目的合理的な存在の典型である。そうであればこそ、目的が変わればあり方も変わってしまうのが組織の組織たる所以である。だから、時代と共に求められる組織の形はそれぞれ変わって当然である。近代になってからでも、階級社会の残っていた19世紀の組織と、大衆社会化した20世紀の組織とはかなり違うものである。
そもそも長い人類の歴史の中、スケールメリットを追及する手段として組織が重視されるようになったのは近世以降のことである。長い人類の歴史の中では、富が蓄積され権力者が登場して以降、長らく「小さい王国」の時代が続いていた。それは一体以上大きな組織を維持し運営していくためのノウハウも手法もなかったらからだ。
組織機構に頼らず、フェイス・トゥー・フェイスで統治できる規模は限られている。経営学の組織論でも、超人的にリーダーシップに長けた人であっても、一人の「長」が文鎮型でコントロールできる組織の規模は2000人が限界と言われている。多分、文明が誕生した頃の都市国家のような「ごく小さい王国」もその規模だったのだろう。
これ以下の規模感のレベルであれば、「長」は配下の者全員の特性やパーソナリティーを理解すると共に、リアルタイムで状況を把握することが可能である。原初的な組織としての原始時代の「クニ」は、そのような「人治」によって秩序を保つしかなかった規模感であったであろうことは、容易に想像できる。
その後古代に入って、王族や貴族により集団的かつ階層的に支配する仕組みが整えられ支配圏は拡大したが、情報伝達が対面型しかなかった時代においては、その規模や構造には自ずと限界があった。フェイス・トゥー・フェイスによるものにしろ文章によるものにしろ、支配者の威光が直接届く相手にしか情報を伝えることができないからだ。
このためいわゆる「封建制」のように、小王国的な小さな騎士団や武士団をベースに、その「長」を豪族が支配することで、より大きな権力基盤を構築する。500人規模の集落国家でも、その「長」500人をより上位の豪族が「家来」として支配すれば、25万人レベルの地方王権が誕生する。このような間接支配の階層構造を採ることで古代国家は成立した。
しかしヨーロッパにおいてもルネッサンス以降の近世になると、経済の発展度合いにより組織のあり方が変わってきた。中世の頃から生産力や技術力が高く商工業が発達していたドイツ語圏など中欧域では、その経済力をバックとして近世に入ってからも都市国家に毛が生えたような小さい王国が乱立していた。
その一方でヨーロッパの中では辺境にあり相対的に生産力が低かったフランスやイギリスでは、スケールメリットによる国力の増大を目指した。このため官僚制に基づく国家機構を整備することにより、広いエリアを支配する巨大な絶対王権が成立した。このシステムはいくらでも巨大化することが可能なため、帝国主義として世界に覇権を争うようになった。
結果的にこの国家機構システムが、近代の組織の雛形となった。産業革命以降の飛躍的な生産力の増大を生かすためには、これを利用した「会社」という形態を取り、大きな生産力を生かした管理・販売を大人数で行なったところが勝ち組となった。20世紀という「組織の時代」はこれが行き着いた姿に過ぎない。
そう、我々が考える「現代組織」のあり方というのは、どんなに前まで振り返っても高々200年ぐらいの歴史しかないのだ。そしてそれが産業社会にオプティマイズしたものである以上、その命脈も産業社会と運命をともにせざるを得ない。組織が中心になって経済や社会を牽引していく時代も同時に終わりを告げることになる。
情報社会においては、産業社会の段階で組織がこなしていた機能は、AIとネットワークというITにより代替可能である。優れた個人がこれらのITを活用することで、かつて大組織でなくてはできなかったことが一人でこなせるようになる。実は「組織の時代から個人の時代へ」とはこういうことだったのだ。ここまで理解すれば、もう時代遅れの組織にこだわることはないだろう。産業社会的な「組織」はもはや終焉したのだ。
(25/01/24)
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