発信と繋がり





19世紀から20世紀にかけての産業社会においては、技術の発展に伴う生産力の拡大も大きかったが、情報メディアも大きく発展したのが特徴である。今使われている情報メディアのほとんどが、この200年ほどの間に生まれたものである。それ以前に生まれていたプリントメディアも、マスメディアたり得るようになったのは、産業革命以降の技術革新の賜物である。

このメディアの発展を促したものは、「会話する動物」としてのコミュニケーションに関する人間の本能である。この本能は、発信したい欲望と繋がりたい欲望とに分かれる。このどちらもがコミュニケーションメディアの発展を引き起こす原動力となったが、その影響ともたらした結果は大きく異なる。この200年間の情報メディアの発展から教訓を学ぼうとするなら、この両者を峻別することがまず必要になる。

ところが多くのメディア論においては、ここが混同されがちなのだ。筆者が直接関わった1980年代以降の情報メディアの変化に関する予測や議論でも、ここをキチンと踏まえたものは少なかった。その結果予測は単なる願望に終わり、期待していた「ニューメディア」は死屍累々。実際に大衆に広がったメディアの利用法や普及プロセスは有識者が予想していたものとは全く異なるものとなった。

新たなメディアに対しアーリーアダプタが求めるモノと、普及し大衆化するために必要なモノは異なる。前者は今までになかった新機能である一方、後者は今までのメディアで行なっていたことを「ウマい、安い、早い」で行える「吉野家効果」である。そして前者を引き起こすモチベーションが発信したい欲望であるのに対し、後者を引き起こすモチベーションが繋がりたい欲望なのだ。

これは、情報の発信と受信には越え難い「非対称性の壁」があることに基づいている。インタラクティブメディアでも、発信者と受信者の比率はラジオのDJ番組の投稿者とリスナーの比率のようなもの。いや、さらにリスナー比率が高いかもしれない。インタラクティブメディアの方が、「いいね」なり「一言レスポンス」なり何か足跡を付けられる分、参加意識が高まってはいるが、実態は全く変わらない。

別にこれはメディアが関わらなくても起こる現象だ。「井戸端会議」でさえ同じような発信と受信の非対称性がある。そこで交わされている会話の過半を喋ってるオバさんが少数いて、後の大多数の皆さんはうなずくだけのリスナーというのがほとんどだ。この傾向は、多分井戸端会議が盛んになった江戸時代からほとんど変化していないものと思われる。

会社などで行われるビジネスの会議も似たようなものだ。発言する人はいつも一緒、頷くだけの人もいつも一緒。そして発言する人は少数だ。大多数の参加者は「そこにいて聞いた、反対しなかった」というアリバイ作りだけのために参加しているし参加させられている。少なくとも日本の会社や組織においては、大同小異この傾向が見られることは間違いない。ここでも状況は同じである。

これはある意味、人間の集団があり、そこでコミュニケーションが交わされる限り変わらない、永遠の真実とも言える。である以上、コミュニケーション・メディアが普及する原動力は、自分が情報を発信したいからではない。ところが、多くのメディア論がこの点を根本的に誤解している。まあ、アカデミックな先生方は自分が発信したがる傾向があるので、そこに引き寄せられているとも言えるが。

この「受け身で繋がること」こそが大衆レベルでのメディアへのニーズであることは、コンテンツの面からも確かめられる。エロ・コンテンツが新メディア普及のためのキラーコンテンツとなることは、1970年代の民生用ヴィデオ・カセットの登場以来、幾多のパッケージやオンラインメディア実証して来た。これはインタラクティブメディアでも同じであり、エロ・コンテンツが花開くメディアは必ず普及する。

そもそもエロ・コンテンツは受け身で使用するのが楽しいものであり、発信するのが楽しいものではない。発信するのが楽しくなってしまったら「露出狂」である。確かにそういう人もいないではないが、それは軽犯罪法違反の歴とした犯罪である。そんな「犯罪者」は社会的に見れば少数派だ。大多数の善良な市民はそんなことはしない。ただただ黙々とエロ・コンテンツを受け身で楽しむのみだ。

これが普及や大衆化のためのカギとなっているのだから、普及や大衆化の持つ構造もよく理解できる。「受け身の繋がり」が得られない限り、そのメディアは普及しないし大衆化もしない。キャズムの向こう側の「キモズム」を抜け出ることはない。これは人間の本性に根差している以上、未来永劫人類が生き続ける限り変わらない「公理」である。ある意味、これが理解できない人間は、これからの情報社会を渡っていくことはできないとさえ言えよう。


(25/02/28)

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