AIを手なづけるには(その1)





AIを使うコツ、それは真にクリエイティブな仕事をしている人ならもう何十年も前からわかっているし、その業界で一流の仕事をしている人ならすでに熟達している技である。それができるかどうかを見分けるポイントは「ディレクションができるかできないか」だ。肩書きが「ディレクター」でも単に財布を握っている発注者というだけで、クリエイティブなアイディアを出せない人はディレクションはできていない。

自分でユニークなアイディアを生み出し、それを人に指示することで意図どうりの作品に仕上げる作業が「ディレクション」なのである。この業界の仕事をしたことがない人には理解しにくいかもしれないが、アーティスティックな職種には、アイディアを持ってスタッフにディレクションし自分の意図通りの作品を作らせる人と、指示されたことをその通り最高の質で仕上げて仕上げる人とがいるのだ。

絵画など純粋な美術作品では一人の作家がアイディアから仕上げまでこなせるし、学校の美術ではそういう世界しか垣間見ることができない。しかし商業美術の現場では、大型の作品や大量に複製する必要のある作品、納期が切迫している作品など、一人の手間では完成できない作業がほとんどである以上、アイディアを出すディレクターと実際に手を動かす職人の両者がコラボして初めていい作品が完成する。

AIの利用法とは、すなわちこのように優れた職人に指示を出して作品を作るプロセスそのものなのである。使いこなすコツは、言われたことをキチンとカタチにする職人をうまく使って、自分の意図した作品を作るのと同じなのだ。ポイントは的確に相手に指示ができるかどうか。これは相手が人間でもAIでも実は変わらない。だがこれをちゃんと行うことは極めて難しい。

現状でもこれがきちんとできている人材は、クリエーティブな現場でも極めて少ない。通常1割いたら御の字、2割いたら奇跡の組織だ。腕の立つ職人は結構多い。彼らに的確なディレクションをできれば、いい作品が出来上がる。しかし明確で着実なディレクションなしに彼らに丸投げしてしまえば、手を掛け過ぎたところと何も考えていない完成度の低いところとがキメラ状に組み合わさった、中途半端な作品になってしまうことがほとんどだ。

なぜディレクションが難しいのか。まず、自分がその作業の到達点をしっかりイメージし、そこへのバックキャスティング的な道筋構築を、ちゃんとわかっている必要がある。ファインアートの画家のように、一人でクリエーティブな作業をするアーティストならばこの関門さえクリアしていれば良い作品を創ることは可能だ。これがなくてはパクり作品しかつくれない贋作者が関の山である、しかしディレクションとなると次の関門が控えている。

それは自分のアタマの中にあるヴァーチャルでしかないイメージを細大漏らさず的確に相手に伝えることで、相手が自分の手足のようになって作品と作り上げてもらう必要があるからだ。このためには自分のイメージを自分の言葉で伝えるのでは不充分であり、どのように相手に説明すれば、相手が意図通り動いてくれ、なおかつこちらが思った以上の仕上がりになるかを詳細にコントロールできる必要がある。

この2点だけでもかなり敷居が高く、それだけでもできる人間は限られてしまう。だがそれはまだ手段でしかない。ディレクションをする上で本当に大事なのは、それらの手段を完璧にこなせた上で、オリジナリティーのあるアイディアを出せているかである。この部分が欠落した「指示」を出しているマネージャーが極めて多い。というより、これができている管理職は日本では貴重である。

だからこそアートワークでは、オリジナリティーのあるアイディアが出せるかという一点でアートディレクターとデザイナーは別人種とされている。アイディアは豊富だが手を動かすのが好きでない人はアートディレクターが向いている。一方とにかく手を動かすのが好きな人はデザイナーが向いている。最もディレクターである以上、的確に指示ができるかどうかというファクターがそこに入るのは確かだが。

次回につづく


(25/03/14)

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