AIを手なづけるには(その2)





前回はグラフィックデザイン等の作業を例として、クリエイティブワークの中には全く異質な二種類のプロセスが存在し、それぞれに求められるコンピタンスが非常に異なるものであることを説明した。実際かなり昔(少なくとも1970年代にはそうなっていた)からこのようなコンテンツビジネスにおいては、アイディアを出す知的生産は「制作」作業、手を動かす肉体的労働は「製作」作業と、その中身を意味する単語も(音こそ同じだが)はっきりと峻別されていたことは覚えている。

このような二元論は何もクリエイティブな作業だけにとどまらない。リアルな世界、実業的な世界においても、単なる実施能力とは違う「ディレクション能力」が問われる場面は結構多い。そして、ディレクション能力の高さによって得られるアウトプットの質が全く異なってしまうことも共通している。たとえば士業の使い方などはその典型的な例と言えるだろう。その場合もキモとなるポイントは全く同じだ。

優れた士業の使い方とはこういうものだ。弁護士に対してなら、自分が今考えているビジネスプランが合法的なもの判断させると共に、もしグレーゾーンだとすればどういう法律的解釈を持ち出せば白と言い切れるか、そのロジックを組み立てさせる。税理士に対しては、この支出を営業費として合法的に処理するための論拠を立証させる。こういう問いかけをして答えを求めるのが本当の士業の使い方だ。

優れた士業の先生ほど「お題」を出さなくては答えはもらえない。「なんとかして」「教えて」では金の無駄、「こうするにはどうしたらいいか考えて」が依頼事項である。だから丸投げでは意味がない。士業の多くの部分はAIで置き換えられると言われているが、それは士業の作業の多くが、法律の規定に基づく定型作業だからだ。弁護士による契約書の審査や、税理士による申告書の作成などが典型だ。

こういう作業ならば、AI士業はあっさりとだが的確にアウトプットを出してくれる。だが過去に判例や事例のないグレーゾーンの判断については、AIに置き換えることは難しいだろう。さらに優れた弁護士は裁判官によって攻め方を変えるように、士業の相手たる「官公庁」の組織は、意外に相手との人間関係により「手口」を変える必要がある。この辺りの手練手管の駆け引きもAI士業には難しそうだ。

もっというと「とにかく頼む」の丸投げでは、ロジカルに判断するAIは答えの出しようがない。ところがそういう士業の使い方をしている人がなんと多いことか。人間の士業なら「煙に巻く」ことでいかにも仕事をしたような安心感を相手に与えて逃げることもできるだろうが(具体的な答えは自分からは出さない戦略コンサルが典型的だ)、AIにこの微妙な躱し技をマスターさせるのは全体最適化を前提とする今のAIの論理構造では難しいと言わざるを得ない。

ここまでくれば、AIとの付き合い方はもうわかるだろう。ディレクターになって、職人に仕事を的確に指示するように命令を出せばいいのだ。すでにそれができている人は、外部の協力会社のつもりでAIを使いこなせば問題ない。AIは、やれ「下請法だ」とか文句を言ってくることもない分気安く使えるだろう。ただそうであるならば、AIにディレクションができる人間は所詮少数であることが最大の問題となる。

ここが、AIを使う人と、AIに使われる人とを切り分けるポイントになる。「コンピュータはコンピュータの上に人を作り、コンピュータの下に人を作る」とは、もう学生時代の70年代から筆者が主張してきたことだ。その「上・下」というのは、AIを使うのか・使われるのかという意味だと半世紀経ってその中身が明瞭化した。そしてまたこれは待遇や階層ではなく、単に指揮命令系統だけの問題であることもはっきりした。

努力と知識でなんとかなることは、機械に任せてしまえばいいのだ。21世紀はそういう時代である。産業社会の常識に凝り固まっていると、この変化に乗り遅れてしまう。自分のアイデンティティーが、努力と経験の成果にしかないと思っていることこそ思い込みなのだ。官僚が退職して肩書を失えば「タダの人」になるのと同じ。それが通用するのは時代と社会環境のおかげだったのだ。今からでも遅くはない。自分を取り戻せ。


(25/03/21)

(c)2025 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる