金か質か
20世紀後半は、表現作品とビジネスが結びついて大きい金が動くという、大衆社会ならではの人類史上でも特異な時代だった。そこでは作品はヒットしてビッグマネーが動くことによって評価されるようになった。特にポップカルチャーに近い表現作品については、どれだけヒットしてどれだけの収益を得たかが、作品そのものへの評価として捉えられるものとなった。
作品としてのクォリティーは、どれだけマネタイズできたかと必ずしも一致しない。所詮ヒットするとは大衆に評価されてマネタイズすることに他ならず、一つの結果こそ表すものの絶対評価ではない。よく使われる事例だが、一つのメニューで最もヒットして売り上げを記録したものは「カップヌードル」だろう。確かにカップヌードルには他にない美味しさはあるが、それが即No1の料理ということにはならない。
70・80年代の映画や音楽といったポップカルチャーにおいては、確かに今までになかった創造的な作品が大ヒットし、その後も時代を代表しているものとして受け継がれている例も多くみられる。しかし、それはあくまでも「断絶の時代」を経て、60年代のカウンターカルチャー・アングラがメジャーの主流になった時代だからこその傾向だ。アタったのは結果論であって、それが狙いだったわけではない。
古今東西の表現の歴史を見てみると、後世に残るいい作品は、必ずしも商業的に成功したものばかりではない。アーティスティックな作品は、リアルタイムでは大ヒットとはならなくても、後世になって「再発見」され「時代の転換点」として高く評価されることの方が多い。理解されない程に時代を先駆けているからこそ、先進的で新しい世界を拓く作品になっているとも言える。
さて、21世紀の情報社会はAIの時代である。職人芸をやらせたら、まもなく人間はどうやってもAIにかなわなくなることは間違いない。そして過去にヒットしたものを分析してヒットした要素を取り出すとともに、現状で最もウケそうなトレンドを見切り、この両者からいかにも口当たりの良い「作品」を作ることは職人芸の極地である。この領域は、まさにAIの独壇場になるといってもいだろう。
少年ジャンプ連載のヒット作でも連続ストーリーものでは、読者のリアクションが良ければどんどん延長する。この結果ストーリーは当初の構想から大きく変わって、全く異なる世界観の作品となってしまうことも多い。こういうヒット作は、もはやAIの方が得意となってきている。それは「マスのリアクション」を想定することは、AIにとっては得意中の得意な作業だからだ。
SHEINではないが、現在の売れ筋を分析してそのエッセンスを取り入れた製品をデザインするのであれば、AIの方がより「完璧に売れる商品」を作ってくることは間違いない。人間がやるよりより多くの事例をより高速に分析しつつ、完璧な職人技でそれを仕上げることが可能だからだ。そういう意味では今後あらゆる分野で、数の出る「売れ筋」はAIが作った方がいいということになるだろう。
となれば、人間が作り出す表現はよりファインアート化してゆくだろう。ビジネスとしての成功より、表現作品としての作者の満足度をより重視して極める方向になる。稼ぎ出す金の多寡が評価につながるということ自体、きわめて産業社会的な発想だ。評価は作者自身の納得感と満足感で決めること。人類史上では、元来表現とはそういうものだった。これもまた「AIのおかげで原点に戻れる」スキームといえよう。
(25/05/02)
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