覚える教育から考える教育へ





104歳で亡くなった明治生まれの父方の祖母。その晩年、体が動かなくなっても意識はしっかりしていたので、仕方がないから座ったまま毎日般若心経と尋常小学校の時に覚えた「読み方」の教科書を暗誦していたという。まるで脳だけが生きているSF小説の実験室のシーンのようだ。あるいは無の境地に至って悟りを開く禅の修行のようでもある。

ここで、衝撃的な事実に気付く。100歳過ぎても教科書を鮮明に覚えているということは、明治時代の初等教育はそれだけ「覚える」ことに力を入れていたカリキュラムだったのだ。いつも言っているように明治時代は「和魂洋才で、追い付き追い越せ」。科学技術や制度の進んだ列強の文物をいち早く「覚えて」我が物にすることに最適化していたことの最後の生き証人だったといえる。

流石に戦後の学校教育は「意味がわからなくてもとにかく覚えろ」みたいな無茶振りこそ減ったものの、知識重視の覚えることに主眼を置いた教育体系であったことは変わらない。よって「勉強すること」と「覚えること」が同値になってしまった。試験は知識を問うものとなり、ガリ勉と呼ばれたように必死になって覚えることで点数を取るものと化してしまった。

高等教育の入学試験も、高等教育自体の大衆化の影響で点数付けがしやすい知識を問うタイプのものが主流になってしまった。「偏差値」がこれだけ社会にはびこってしまった裏には、そもそも評価軸が知識に関するリニアな一次元の軸でしかなくなったことが原因である。そもそも人間としての評価はあくまでも多軸であり、一つの数値だけで表現できるものではないのだが。

逆に戦前の高等教育は、上流階級か誰もが優秀と認める地方のエースのような人かしか受けるものではなかったので、そもそも定員も受験者数も少なかった。それゆえ判定に時間をかけられたということもあり、知識を測定するペーパーテストではなく、論文や面談といった人間力そのものを見定めるものが主流だった。旧制高校の教養主義へのノスタルジーがよく語られるが、あれはそもそも教養人を学生としたからだ。

いつも言っているように、自分で発見する力、自分で思いつく力は、誰でも同じように持っているものではない。そればかりかそもそも「持ち合わせている」人でないと、知識のように勉強や努力でなんとかキャッチアップできるものでもない。戦前の高等教育は、結果的にこの点についてはそういう能力の高い人を創発的に集めることに成功していたということができる。

勉強と努力はAIに任せるのが常識となる21世紀の情報社会では、まさに「自分で発見する力」「自分で思いつく力」を持っている人材を確保し活用することが極めて重要になる。それには、このような原点回帰を図ることが必須である。教育とは覚える現場ではなく、考える現場とならなくてはならない。その中から「発見し、思いつく」人材を選別し育成することが求められる。

AIの登場により、「コンピュータは、コンピュータの上に人を作り、コンピュータの下に人を作る」時代がSFから現実となった。コンピュータから見れば指図する相手、指図される相手ではあるのだが、それは人間としての上下ではない。人間同士の関係は対等であり、コンピュータとの関係とは全く別のものだ。「上」と「下」はバリューチェーンの上流・下流のようなものだ。

であるならば、自分でものを考えさせ、発見したり思いついたりするのが得意かどうかを早いうちから自覚させ、どちらの道が自分に向いているのかを選別する。そしてそれに合わせた能力開発を行う。これがこれからの教育のあるべき姿である。今の教育界の人間でこれができる人材は極めて少ないであろう。いっそのこと、この選別自体をAI自身にやらせた方がいいのかもしれない。



(25/06/27)

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