ブラフの時代





このところ、国際政治のプロレス化が顕著である。交渉においては、とにかく実質よりブラフから入るとういうやり方が、トランプ大統領以来王道化してしまっている。本質的なファイトに入る前に、リップファイトでやりあって相手を牽制する。そんな「前戯」を相手が真に受けて身構えるならば、後の展開は非常に有利になる。

この典型が弱い国が虚勢を張って行う「瀬戸際外交」だ。「瀬戸際外交」を得意とするのは、北朝鮮をはじめ「ならず者国家」の常套手段だった。「こいつは何をしでかすかわからない」というイメージを作っておけば、実際の戦力や国力といった実力以上に相手が警戒し一言一言に過剰反応してくれる。

ウクライナ戦争で図らずも浮き彫りになったロシア・旧ソ連の軍事力の実態のおそまつさを見れば、まさに冷戦時代の「舌戦」でソ連がいかに相手をビビらせていたかがわかる。絵に描いた餅であっても、相手がビビってさえくれれば充分に抑止力になるのである。ある意味リソースの少ない国にはもってこいの戦略である。

これに対し、超大国側はガチンコで応えるのが20世紀の国際政治だった。本当に強い「いじめっ子」は毅然としつつ、真綿で締め上げるようなイジメ方をする。そしていじめられっ子が切れて爆発するのを待つ。先に手を上げるのを待って、正義の味方然としてボコボコにいじめるという算段だ。

太平洋戦争開戦時のアメリカの対日戦略など、まさにこれだ。イジメられている方が、もう崖っぷちになってヤケになって反撃してくるのをじっくり待って、「世界の警察」面して参戦する。それだけの余裕と実力があるのが真の超大国であり、自分から先に手を出すことは決してしないのだ。

これなら先に手を出してきたのは相手の方なので、手を上げても「正当防衛」で受けて立つ大義名分はある。、実体は陰でイジメていたとしても、暴力に訴えてきたのはいじめられっ子の相手の方なので、いじめっ子であっても責められることはない。ある意味、この「余裕」も実力のうちなのだ。

いじめられっ子がギリギリまで我慢して、それでキレてしまったのでは完全に相手の術中にハマってしまう。それでは絶対に勝ち目はなく必敗に終わる。良くてちょっと相手に痛い思いをさせる程度だ。なので、ちょっとはアタマが切れるいじめられっ子は、ブラフで牽制する。これが「瀬戸際外交」の本質である。

とはいえ冷戦も終わって21世紀になり、超大国だった国々も大国ではあるもののの、かつてのような力量さはなくなった。アメリカといえども圧倒的な「世界のいじめっ子」ではいられなくなった。かくして登場したのが、トランプ大統領のブラフ政治である。舌戦で本戦前に有利なポジションを握ってしまおうという作戦だ。

とはいえやっているのは、せいぜいプロレスとのヒールとベビーフェイスのようなやり取りである。だが、アメリカが動くときはガチンコだと信じている各国外交関係者相手なら、充分にビビらせる威力を持っている。とはいえ手口がわかってくるとビビらずに冷静に次の一手を見るようになるので、いつまでも使えるわけではない。

だが、超大国がなくなった今となっては、舌戦から入って探りを入れるという手はけっこう使える。場合によってはリップファイトではなく、軽微な戦闘でブラフということもあるだろう。外交交渉にとどまらず、交渉事においてはブラフをかけるのがウマい方が有利になるというのは21世紀の「常道」となるだろう。



(25/06/27)

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