人たらし力
社会の構成員が人間である以上、論理や理性の部分は全てAIがとって代わったとしても、人間対人間という部分には理屈では語りきれないエモーショナルで非合理的な要素が残る。人対人というその部分にこそ、人間でなければこなすことのできないアイデンティティーのコアが潜んでいる。そうである以上人間の役割はなくならないし、情報社会ならではの人間と機械のコラボレーションも求められることになる。
従って情報社会における人間力では、何をおいてもこの「人対人の非合理な心を動かす力」がずば抜けて重要になる。それは人を選ぶ基準が産業社会の時代とは大きく変わるからだ。産業社会においては点数・偏差値のようなリニアな軸の上で点数を付けその大小で評価して選ぶやり方が一般的だった。しかしこのやり方を取る限り、もはや人間はAIには勝つことは不可能である。
しかし人間を必要とする場合、何らかの方法で選別を行う必要がある。とはいえガチンコ勝負では人間は絶対にAIにかなわない。ということは、今後人材の選抜ではオーディションやコンテストは意味がなくなるのだ。そういう一軸でのリニアな評価ではなく、360°評価を基準とした選抜が求められるようになる。それは試験や面接ではなく、日常に密着した評価である。
もともと「ギョーカイ」では、「自分が信頼する人の評価」を基準に人を選んだり評価したりすることが一般的だった。求めているコンピタンスが単純明快であればオーディションでもかなり的確に選ぶことができるが、可能性も含めて抜擢したいと思うのであれば、そんな5分や10分で潜在的な能力まで見切ることは極めて難しい(逆にとんでもない才能の持ち主であれば一瞬にしてわかることも多いが)。
求人でも同じである。面接で全てがわかるわけではないし、ズル賢いやつほど自分を作って演じてくる。それを見破るのは大変だし、ましてや人材ビジネスのプロではない一般の社員が面接官では、5分や10分で本質を見抜くことなど無理だと言ってもいい。それなら、信頼できる人に「いいヤツはいないか」と縁故で探してもらった方が、求めている人材は得やすくなる。
そもそも産業社会のように偏差値のようなリニアな評価軸の点数で人間を評価できなくなるのがAIが実用化した情報社会である。当然のように試験や面接といった産業社会的価値観軸に基づく選抜は意味をなさなくなり、ほとんどの選抜がより深い本質を見抜くことができる縁故による採用になってゆくであろう。実際経営者としてはそれしか人を選ぶ手段がなくなることを実感している。
である以上、情報社会で最も求められるコンピタンスは、誰からも好意を持って受け入れられる「人たらし力」である断言できる。ある種の営業力やコミュニケーション力とも共通する要素はあるが、それよりもっと深みのある、「肯定感とともに受け入れられる」能力である。もちろんこれは全人格的能力なので、勉強や努力でどうにかなるものではなく、生まれ持った才能と育ったミームの全てが影響する。
なんとかいっても、努力や勉強により演繹的に身に付けたものを基本にする限り、ある問題に関して人を説得することはできても、全面的に相手と信頼関係を築くことはできない。人間関係というのはそういうものである。それゆえ、超秀才なAIが本当の天才と信頼関係を築くことは難しい。これからは「人たらし力」のある人同士がお互いに認め合い協力し合うのが世の中の基本となる。
これは根本的な価値観のパラダイムシフトを伴う「コペルニクス的転回」なので、一朝一夕に成し遂げうるものではなく、定着するまでには激動や波乱を伴うであろう。しかし時代の流れには逆らえない。これを受け入れてうまく波に乗った人間から、成功を掴むのだ。そして、そういう能力を持っている人材は、すでにそれなりにいる。こいつらとウマく折り合いをつけることこそ、情報社会において先んじて成功する鍵なのだ。
(25/09/12)
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