青い空・白い雲・緑の森





物事をあるがままに受け止め味わうことができず、知識と照合する形でステレオタイプ化してしか理解し捉えることができない人が、日本にはかなり多い。素直に感じ取れる人よりこういうタイプの方が多いし、特に男性では圧倒的に多いのが現実である。明治以来一世紀半に渡ってつづけられた知識詰め込み型教育の悪弊だと思うが、何事にも正解がありと信じているからこそ、新たに見聞きしたものは自分の覚えている「正解」とマッチして初めて受け入れられるタイプである。

こういう捉え方・ものの考え方をする人の方が学力テストではいい点を取りやすい。結果的に「追い越し・追い越せ」の知識型教育ではその方が「いい生徒」として評価されるので、世の秀才の中にはこういう発想をする人が非常に多く含まれている。高級官僚には、理屈は得意でもセンスがからっきしダメという人が多い理由がここにある。それだけでなく、学校教育においてはそれが推奨されていた分、成績に関わらずものの考え方としてはそっちが基準になってしまっている。

これで何が起きるか。自然な発想、自由な発想の芽を詰んでしまうのだ。あるがままに見て、あるがままに感じることこそが、自由で豊かな発想の第一歩である。そこを否定してしまうのだから、日本人が「石橋を叩いて渡らない」事勿れ主義で前例主義と言われるのもムベなるかな。ましてやこういうステレオタイプの権化のようなエリート官僚の考えることが、リスクを取らず自分に責任が来ないものになってしまうというのも納得できる。

空の色一つをとっても、無限とも言えるスペクトラムがある。その微妙な違いを味わいとして感じ取れるのがセンスなのだが、こういう頭でっかちな人は、それができない。実際の微妙な色合いを味わうことができず、「青い空・白い雲・緑の森」としか受け止められないのだ。いわば初期の8ビットパソコンの4ビットのG-RAMというか16色の色鉛筆というか、そのぐらいの分解能しか持っていない。そもそもこんな能力しか持っていないのでは、感じることができるわけがない。

まず感じ取れなくては、その先の先にある「表現すること」など夢のまた夢だ。しかし過去も今でも本当に飛び抜けて優秀で創造的な人は、こういう社会環境に潰されることなく自分を貫いている。飛び抜けて優秀であればメンタルもタフである。出る杭を打とうとしても、杭が強すぎて打ち込むハンマーの方がぶっ壊れてしまう。だからこそ、こういう教育が行われ続けてきた日本においても、世界から賞賛されるクリエイティブな作品が生まれているのだ。

しかし、ボーダーラインにいる人々をどっちに導くのかは教育の役目だ。彼等が、頭でっかちな「秀才」に育つのか、感受性のあるセンス豊かな人間に育つのか。それは教育システムの組み付けによって大きく変わる。ガキの頃は感性がそこそこ豊かだったけれど、それなりに勉強も得意という子供は、教育の中で「採点」されるうちに秀才モデルの方に引っ張られていってしまってきたのが、いままでの学校制度だ。日本が貧しい開発途上国の頃は、このモデルは効率的で有効だったかもしれない。

高度成長モデルの一つの頂点と言えるバブルが崩壊して以降、失われた20年、30年と言われ続けているが、それは社会や経済のグローバル化が複雑化・高度化を生み出し「正解」のない世の中となったため、過去の事例から正解を求めるしかできない秀才では判断もハンドリングもできな苦なってしまったからに他ならない。産業社会型の秀才エリートを集めた大企業や官僚組織が、このような変化に全くついていけなくなってしまったからこそ、それらの大組織が低迷しているのだ。

パラダイムシフトを成し遂げることなくこの30年間後倒しを繰り返してきたが、AIが実用化し情報社会が本格化するとともに、ついに産業社会的な残渣が一掃される時がやってきた。もはや後倒しは効かないし、官僚答弁や言い訳で乗り切れるボトルネックでもない。肚を括ってどの道を選ぶかを決めなくては前には進めない環境になっている。それは今までと違うタイプのリーダーを担ぐことである程度解決できるが、リーダーだけでは前に進めない。

あるがままに見て、あるがままに感じることこそが、自由で豊かな発想のができるスタッフに恵まれないことには、「笛吹けど踊らず」になってしまう。これも当初は限られたそういう人材を大胆に抜擢することである程度は乗り切れるだろうが、教育で求められる人間像を抜本的に改め、本当に情報社会に必要とされる人材を育てられるものとすることは喫緊の課題となっている。見たまま、感じたままを語れること。これこそがAI時代の教育の鍵である。



(25/11/14)

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