バックドアマン
ハッカーがシステムに侵入する時には、バックドアと呼ばれるシステム上の抜け穴を見つけ、そこからハックすることが多い。産業スパイのように情報の入手自体が目的ならば、システムそのものの脆弱性を狙うよりは、もっとセキュリティーが弱い人間系を攻略してパスワードや情報そのものを入手する方がよほど簡単である。しかし、ハッカーはある種のゲーム性も楽しんでいる傾向があるので、バックドアを見つけるプロセスそのものにも喜びを感じていると言うことができる。
バックドアがあるのは、何もコンピュータシステムに限ったものではない。人間が作った体系的なシステムであれば、どんなものであっても必ずできてしまう傾向がある。典型的なのが法律のグレーゾーンだろう。法律の条文の趣旨とは反しているが、少なくとも法律上は違法とはいえない行為というのが必ず発生する。それは「事実は小説より奇なり」で想定外の事態はいくらでも起こりうるし、その全てに対応できるように法律で規定することは不可能だからである。
そのために司法制度があり、「想定外の事態」に対して法律の趣旨に基づく対応・判断を行っている。しかし判例がいくつ積み重なっても、やはり判断に困る事態は発生する。これはいわば人間の性である。逆にいえば、人間が社会的に行う行動に関していえば、どんな時でも多かれ少なかれ「バックドア」が発生してしまうのが常である。これを見つけるのがうまければ人生は楽になる一方、それが苦手だと人生は遠回りした苦労の連続となってしまう。
そうである以上、抜け穴や裏道にすぐ気付くヤツは要領よく人生を渡っていくことができる。いわゆる「地頭がいい」人たちである。彼らは要領よく点数を稼ぐので、結果として秀才エリートと一緒ごたに捉えられがちだし、学歴だけ見ると確かに混じっていたりすることも多い。しかし発想が全く違う。テストで言えば、10の時間で回答を出す時、秀才エリートは10の時間をフルに使って演繹的にコツコツと論理を進めて最後に答えに到達する。
一方「地頭のいいヤツ」は、極端にいえば10の時間があれば1の時間で答えを出す方法をmax9の時間を掛けて考え出し、1の時間で解いてしまうのだ。そして多くの場合1の時間で答えを出す方法を見つけるのには9の時間も掛からないので、早々に答えに到達することになる。いわば自分に課せられた課題をハックしてバックドアを見つけ、そこから侵入して答えに到達しているようなやり方だ。こういう要領のいいヤツを「バックドアマン」と呼ぼう。
こういう「社会的ハッカー」においては、ゲーム性も楽しんでいるコンピュータハッカーとは違って、プロセスだけではなく自分の人生そのものである結果も重要である。なので、産業スパイのように人間系の攻略もしばしば行うし、「地頭がいい」人たちはこれも非常に得意である。しばしば「爺殺し」などとあだ名されたりするが、ひとかどの人を籠絡するのが極めてうまいのだ。これは対人関係でも相手の「バックドア」を目ざとく見つけられるからである。
そういう世界は、人間社会では古くからあった。かつての階級社会においても、階級の壁を超えて重用された人たちはそこそこ多い。もちろんガチンコの実力勝負で壁を突き抜けた人もいるが、成功した人たちの多くはこういう「バックドアマン」だった。もちろん彼らも実力レベルは高いのだが、無駄な努力、無駄な勝負をしないでポジションを得ることができるところが違う。その分ポジションを得た時に、持っていたエネルギーやリソースを無駄に消耗せず温存できているところが強みになる。
もうお分かりとは思うが、AI時代に求められ究極の人間のコンピタンスこそこの「バックドアマン」である。こういう人間同士であれば、阿吽の威呼吸でハイレベルな関係を構築できる。そこは先に答えがある、バックキャスティングな世界である。そしてそのような関係の中にはAIは入り込めない。そのためには世間一般では混同されがちな秀才エリートとバックドアマンを見分けられる視点が必要になる。まあ、それ自体がバックドアマン的な素養というところがメタなのだが。
(25/11/21)
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