左翼の焦り





貧しく飢えた社会では、一粒の穀物を人々が取り合う。どうせ飢え死にするのだからと、限られた食料を取り合いが殺し合いにエスカレートする。この構図は、今でも貧困国などでは内戦が絶えないことが何よりも如実に示している。ヨーロッパなどの先進国でも、近世に入って農業をはじめとする産業の生産力が飛躍的に拡大するまでは、五十歩百歩の状態であった。程度の差こそあれ、食べ物に困る飢えた人達の存在は産業革命の成果が末端に届くまで続いていた。

このような貧しく飢えた社会では、自分が他人より少しでも多く分け前を得ることが至上の課題だった。産業革命以降、西欧においては飢え死にするリスクこそなくなったものの、貧しい人々は生きてゆくのがやっとという状態だった。社会主義や共産主義といった左翼の教義は、基本的にはこの時代の飢えた人達がどうやって食い物を分捕れるかということが基本にある。ひもじさからどうやって脱するかというのがモチベーションの根底にある。

まさに「インターナショナル」のどアタマの歌詞「起て飢えたる者よ」の世界である。この時期においては、示威行為により数の力で少しでも分前を分取ることは死活問題だった。そしてそれを求める生きてゆくのがやっとという、ひもじく貧しい人たちが社会にはたくさんいた。今となっては想像できない世界だが、これが左翼が生まれた原点なのだ。この構造を理解することが、左翼の本質を理解する上では極めて重要になる一方、21世紀の現代人が見落としがちな点だ。

実際、産業革命がいち早く起こった英国では、早い時期に労働者階級にもその恩恵に預かれるようになった。その結果としてこの時代に英国名物のパブが生まれ大ブームとなったことからわかるように、生きてゆくのがやっとではなく、多少は生活を楽しむ程度の余裕は持てるようになり一歩「ユートピア」に近付けた。そして純粋に共産主義的な左翼は、英国では定着することがなかった。その一方で共産主義政権が世界で最初に樹立されたのは欧州でも貧しい庶民に溢れていたロシアだった。

このことからもわかるように、左翼の権力者はいろいろ理屈を並べて自分達の正当性や優越性を主張するが、それを支持する大衆は決してそのイデオロギーに共感して信奉していたわけではない。全然分けてくれない権力者よりは少しでも分けてくれる権力者の方がマシなので、そちらに貧しい人々が集まってくるというだけである。左翼の支持者のモチベーションとは、このようなバラ撒き志向がその根底にある、極めて刹那的なものでしかないのだ。

バラ撒き志向の数多い飢えた人々。彼等が権力の支持基盤である以上、彼等に対するアメとムチの脅しが効かなくなることは、自分の権力の源泉が失われることを意味する。これができていたから、少数ながらコワモテで自分の意見を通してきた。少しはマシな権力者としてそれまでのツァーより多く分配することで、「赤い貴族」として自分たちは権力に浸り別格なオイシイ思いを享受できた。人々が豊かになり余裕ができることは、自分たちの存在価値を損ねることになる。

「生かさぬように、殺さぬように」、これこそ共産主義の権力者の基本である。この構図があるからこそ、そこに利権を生み出してきた。そうである以上、人々を底辺よりはちょっとマシな「ブービー賞」みたいなところに永遠に据え置くことが、権力を維持する上では最も重要なこととなる。これをキープすることが体制維持のための至上の課題となっている以上、共産主義の社会では、おいおい異論を許さず全体主義的にならざるを得ない。

そういう意味では、生産力が高まり人々の隅々までその恩恵が行き渡ることは、左翼にとっては死と同義である。こと今の日本が代表的だが、安定成長で誰もがほどほど幸せで安心な暮らしができてしまう社会というのは、左翼の天敵だ。「もっとバラ撒きを」「努力せずにオイシイ思いを」という妄想的な願望を持っている人しか、もはや左翼の支持者はいなくなった。まさに高度成長期のバラ撒きでオイシイ思いをしたシニア層しか支持者がいないのはそういう理由である。

今でも地球上には「その日の食い物」を争って、血を流し命を奪い合っている人達もいる。そのようなところでは、まだ左翼の出番もあるかもしれない。しかし、グローバルな経済の恩恵が及んでいるところでは、まさに時代錯誤的な茶番である。昨今の世界各国での左翼の焦りは、そういうところから引き起こされているといえるだろう。もはや世の中は情報社会である。そして社会主義・共産主義はその前の産業社会の立ち上がる時期だけが賞味期限の思想だったのだから。


(26/02/06)

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