抽象論のリスク
左翼・リベラルは人一倍理屈っぽく、何でも論破してやろうという姿勢が強いのだが、実際には独りよがりの理論を展開するだけで、その威勢のワリには人々からの支持はカラキシというパターンがほとんどである。それは彼等の理論には抽象論しかなく、それが構造的に最大の問題点なっているからだ。抽象論だけでは、いかに正しそうであっても、それを実現するため地に足が付いた具体的な方法論を提案することができない。
これは経営戦略コンサルが、言っていることこそ正しいが、具体的な戦術提案に踏み込めないのと似ている。だから悩んでいるクライアントを勇気付けることはできても、本当にどうしたらいいのかわからないで困っているクライアントには答えを出すことができない。日本のメーカーには後者の悩みを持つ企業の方が多いので、「言っていることはわかるが、ではどうしたらいいのだ」とかえって悩みが深まってしまう。
左翼・リベラルも経営戦略コンサルも、リーダーは結局は勉強した知識だけで固めた「秀才エリート」であり、こういうタイプはそもそも総論・抽象論には極めて強いが、どうしたらそれを実現できるかプランニングできるだけの実務経験がないし、そこから発生するであろうリスクを踏まえた上で報酬を受け取るだけの勇気がない。学識者・有識者もこの傾向は共通しており、「秀才エリート」「インテリ」の構造的限界ともいえる。
ぼくは広告屋だったが、ピッチで戦略コンサルと競合するようになった世紀の変わり目頃、彼等の提案を良く聞いてあっさり勝技を見抜いた。それは「具体的な提案で成功報酬」というギャランティーシステムを約束することだ。我々も抽象論を語ることはできるが、そこには金を出さなくていい。そんなものはいくらでもタダで語ってやる。それができるのも、我々には具体的な成功への道筋を付ける能力があったからだ。
何をもって成功とするのか、その目標を明示してくれれば、必ずや達成できる方策を提案できる。そのために必要とされるコストも明白なので、目標達成が出来た時にそれを頂くという約束でそのキャンペーンを実施できる。まさに理論家と実務家のビジネスへの取り組み方の違いをビジネスモデルそのものに反映させるやり方だ。本当に答えを知りたがっていたり、目標を実現したがっている企業にはこちらの方が刺さる。
戦略コンサルの原理論・抽象論はそれなりに迫真で、威勢が良くてカッコいいのは確かだが、全てが机上の正論で摩擦=0のニュートン物理学の理論のようなものだ。それがいかに精緻であっても、摩擦や空気抵抗に支配される現実の機械の動作をシミュレーションできないように、現実においては経営における具体的なヴィジョンや戦略に落とし込めない。あるいは、それを現実化できないクライアントの組織構造の方にそもそもの問題点がある。
もっとエスカレートすると、こういう連中は議論のための議論ではよくあることだが、極めて緻密な理論構成だが、そもそも成り立たない公理からスタートして一つの世界観を組み立てていることも多い。この「ためにする議論」は、ディベートでは強いがビジネスでは全く実用にはならない。「議論の格闘技」のための議論でしかない。プロレス技ではストリートファイトができないのと同じだ。まあ受け身技はかなり有効だとは思うが。
この最たるものが、左翼・リベラルの抽象論である。前回分析したように社会主義・共産主義という思想そのものが、活動家エンゲルスが、ヴィジョナリストマルクスの描いた理想社会像を横取りして、さも実現可能なように喧伝したところに始まっている。社会主義・共産主義という社会システムは、権力欲にとらわれた19世紀の左翼活動家が、大衆を騙して自分達にとって都合のいい社会機構を構築するものとして「作られた」ものである。
当時の貧しい人達は、「今よりましになるならば」ということでその甘言にあっさりと騙されてしまった。ひもじい人には「腹いっぱい食わしてやる」が一番刺さる。その「伝統」は今もしっかり受け継がれていて、現実性のない御伽話のような抽象論だけで有権者を騙せると信じきっている。もともと左翼の理論家は秀才エリートのインテリが多かったので、そういう「口先芸」は得意中の得意である。無責任な左翼の演説のルーツはここにある。
マスコミが左翼・リベラル好きなのも、マスコミ人の多くもまた同じ穴の狢である秀才エリートのインテリ出身であり、こういう議論ごっこが大好きだし、それを真に受けて大衆が踊ってくれればあたかも自分達が大衆を啓蒙する「一つ上」の存在のように感じられるからだ。この「啓蒙」というのも左翼・リベラルが大好きな言葉だが、明らかに大衆を上から目線で見下している。たかが偏差値の上下で人間の価値を図るのは意味がない。
だが今は情報社会となった。抽象論・観念論ならAIの方が人間よりよほど強いし、緻密な論理展開を構築するのもAIの得意技だ。逆にこういう「人を騙す」ために構築された抽象論など、AIは簡単に矛盾を暴いてしまうだろう。そこはもう人間の立ち入るべき世界ではない。情報社会においては「自分が肚をくくった責任において、これを選択する」こそ人間らしさである。そろそろ抽象論は語るだけで怪しまれると思うべきだろう。
(26/02/20)
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