サブカル日本の秘密
日本においては政治経済の領域こそ明治維新以降の文明開化で西欧式のトップダウン型が取り入れられそれが定着して標準化した。しかし、中央で旗を振っても一人一人の国民がその気にならなくては変化しようがない文化の領域においては、江戸時代以来のボトムアップ型が根強く残っている。それは今でも特徴となっており、クールジャパン以来日本の大衆文化が世界的に人気となる要因でもある。
江戸時代においては、有責任階級の武士は責任は取るが世の中を動かすだけの資力も実力はなく、庶民が社会を動かしていた。各藩が豪商からの借金で運転資金を賄っていたのは有名な事実である。ある意味「建前の武士」と「本音の庶民」という互いにもたれ合える関係を構築していたことが、200年以上続いた江戸時代の安定・繁栄の基礎となっていたことはいうまでもない。
大河ドラマ「べらぼう」でおなじみになった元禄町人文化を作った立役者蔦重こと蔦屋重三郎の活躍を例に引くまでもなく、江戸時代における文化という面では圧倒的に町人層がその主体であった。もちろん蔦重周辺の戯作者や浮世絵師などで武家出身者にも「文化人」はいたが、それは次男・三男で町人同様の生活をしている風流人であり、武士らしい生活をしていたわけではない。
当時のヨーロッパの文化は限られた少数の王侯貴族層だけに担われており、一般の庶民層は食うや食わずの状態で、とても文化などというものに接する余裕すらなかった。それに対し、江戸時代の日本においては、階級社会ではあったものの、貴族層と言える有責任階級の武士ではなく、庶民層にも文盲は少なくほどほどの銭を持っており、彼等が江戸時代文化の中心となっていた。
黄表紙本、浮世絵などは、そのターゲットは庶民であり、印刷による大量生産が行われていた。気に入った歌舞伎役者の浮世絵は、しばしば破れた襖の上に貼られたが、これなど推しのポスターを壁紙の剥がれた壁に貼るのとまったく同じ。こういう消費のされ方である以上、作り手が町人層なら、顧客も町人層であった。大量生産・大量販売の上で文化が創り出される。すなわち文化にマーケティングがあった。
こういう地に根が生えた庶民が支えるボトムアップ型の文化こそ、日本文化の特徴である。
もちろんこれは町人文化が世界で初めて花開いた江戸時代に完成の域に達したものだが、日本の文化がボトムアップ型になった嚆矢は、それまでの貴族層によるトップダウン型に変わって、地方の新興武士層や庶民からの信仰で勢力を拡大した鎌倉仏教にルーツが求められるだろう。
だからこそ、鎌倉仏教は何度も弾圧に会うことになるし、それを乗り越えて勢力を拡大する中で、ボトムアップ型の広がりを実現することとなる。既存勢力がいくら抵抗しても、地に足がついたボトムアップ型の支持を得た勢力は、結局は数をバックにプレゼンスを確立することができる。そう考えると、いまのサブカルの元といえるボトムアップ文化は1000年以上の歴史があることになる。
オタク文化というとコミケが始まった70年代以降というイメージがあるかもしれない。確かに、今花開いている表現スタイルが生まれたのはその通りかもしれないが、ボトムアップ型の大衆文化、消費者としてのイノベーター・アーリーアダプターがないポストキャズム的な消費は、日本においてはアメリカ建国以来の歴史の数倍の長さの年月をかけて研ぎ澄まされてきた特有の生活文化なのだ。
この日本文化の本質に根差した、ボトムアップ文化の深さこそが、サブカル領域で日本が世界に冠たる理由である。クールジャパンは一日にしてならず。逆にトップダウンこそ、日本においては高々百何十年の歴史しか持っていない。近代の日本は日本らしくない。江戸時代から脈々と続く生活感こそが日本の魅力である。これがあるからこそ、これだけインバウンドのお客様を集められるのだ。
(26/03/20)
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