利権は麻薬




バラ撒きに一度手を染めると、人間はそこから抜け出せなくなる。公的機関からバラ撒かれている「補助金」の多くは、そこに建前として掲げられた目的から離れて、形式要件さえ満たせばもらえるアブク銭として、うやむやなままに消費されている。どの省庁でもそういう補助金は多かれ少なかれあるが、厚生労働省関係の雇用や人材開発に関する補助等のようにカタチのあるエビデンスが残れないものは、かなりの比率で目的外使用され形式的に辻褄を合わせているのが実態だ。

実際、実態のない空申請で補助金を得ていた会社を知っているし、虚偽申請を通すのが上手いという「黒い社労士」も見たことがある。そもそも役所の予算は使い切ることが目的化してしまい、効果の部分は問われないのがそもそもの問題なのだが、そういう役所の基本姿勢が、そこに巣食う「黒い紳士達」を集めてしまうことも確かだ。公金ちゅーちゅーで有名になったが、福祉・人権関係の補助金を詐取するために作られたNPO法人のなんと多いことか。

これの恐いのは、なにもしなくても濡れ手に粟というおいしい味を知ってしまうと、真面目にリスクを取ってチャレンジするというビジネスの基本に戻れなくなる点だ。一度手を出すと、真っ当な道には戻れず、どんどん道を外れて帰れない沼にハマり込む。今以上にもっとバラ撒いて欲しい願望ばかりがどんどん募ってくる。だかこそ大きい政府だ、補助金だ、バラ撒きだと期待する人達は、もう更生できない重度の麻薬中毒患者のようなものなのだ。

しかしバラ撒きは公金がタネ銭である以上、年間予算の範囲を越えることはできない。限られた財源を取り合ってたところで、所詮は「蜘蛛の糸」である。本来「あわよくば濡れ手に粟」の域を脱することはない。「こりゃラッキー」とアタリの一回でやめておけば、足を踏み外すことはない。それが湯水のごとく出てくると思い込んでしまいハマり込むのは、ある種ギャンブル依存症に近い。それより自助努力でビジネスチャンスにチャレンジすれば、いくらでも「富」は湧いてくるというのに。

とはいえ、バラ撒き依存派は左翼・野党の専売特許というわけではない。たしかに左翼・野党はいわゆる「公金ちゅーちゅー」で、ばバラ撒きの資金を自らの運動資金としたり懐に入れたりするのが特徴だ。いわば直接的な利権依存である。その一方でバラ撒きで票を集める保守・与党系の政治家は沢山いる。旧来型の利益誘導を得意とする「族議員」などはその典型だ。こちらは自らというよりは有権者の票をバラ撒きで獲得しようという間接的な利権依存と言える。

いずれにしろ補助金バラ撒きはその財布が公金である以上、そこに財布の紐を握っている官僚が組み込まれないとシステムとしてのバラ撒きは成立しない。このカギとなるのが、バラ撒き主体としての公益法人の設立と、そこにおける天下り椅子の存在である。役所から公益法人に流れるバラ撒く補助金のかなりの部分を、天下った元官僚が手当てとしてフトコロに入れることで、バラ撒きをすればするほとどんどんおいしい天下り椅子が増えるという仕掛けだ。

ここに国(というか、その実態は納税者である国民や企業)の一人負けで、政官民の利権依存派は三方一両得という、バラ撒きに関する鋼の利権構造が出来上がる。税金のかなりの部分が、このようなお手盛りの無駄遣いで消費されている。こんな構造を許している限り、財政再建などできるわけがない。財務省が減税に難色を示す一方で隙あらばすぐ増税を狙うのも、このバラ撒き資金を拡大することで、霞ヶ関における財務官僚としての権限を拡大することが目的だからだ。

政治における買収が罪になるのに、なぜ公金による買収そのものと言えるバラ撒きが罪にならないのか。それは補助金に関する法律自体が、官僚の発案で作られたものからだ。まさに補助金バラ撒きこそ、官僚の裏の存在意義・アイデンティティーとなっている。要はヤツラのやっていること自体全てお手盛りなわけで、ここから断たなくては本当の意味での財政再建は不可能だ。バラ撒きは社会の麻薬。クスリが「ダメ。ゼッタイ。」なら、バラ撒きも同じ「ダメ。ゼッタイ。」だ。


(26/06/12)

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