教条主義と権威主義




歴史的に自分でモノを考えられない人達が集まってきた左翼は、これが正しいと上から示された理論に忠実に動くことで「自分らしさ」を初めて担保できた人達だ。というよりこの構造は、19世紀に社会主義思想が生まれたとき、左翼の活動家が自分達の政治的勢力を拡大する手法として、モノを考えられない人々(左翼活動家の言う「愚衆」)をどうその気にさせて員数集めをし、「数の力」として誇示するというプロセスを考案した時から始まった。

確かに「宗教は阿片である」はマルクスが「ヘーゲル法哲学批判序説」で述べた言葉だが、マルクス自身は決して宗教を頭ごなしに否定する意味でこの言葉を使ったわけではない。中世的な貧しい社会では人の心を救うものは一時的に現世の苦痛を忘れさせる宗教しかないが、生産力が増して豊かな社会になれば、一時的に現実から目を背けられる宗教に頼らずとも、本当に幸せな社会が実現でき、それを満喫した生活ができるようになるという文脈で使っていたのだ。

しかし、エンゲルスはこれをひっくり返して使い、宗教よりもご利益のある共産主義として「メタ宗教化」を図ることで、勢力を拡大する手段としてしまったのだ。トップダウンの絶対正義があり、それに縋っていれば思考を停止できるというのは、全く宗教と同じ構造だ。疑問を挟むことさえ許されない「教義」を信じることが、自分の心の安定に繋がる。高度成長期の日本で、集団就職で農村から都市部に出てきた不安に苛まれた若者を創価学会と日本共産党が取り合ったのと同じ構図である。

ある意味、そこにハマってしまった瞬間から、自分でモノを考えることを停止して楽に生きられるようになる。これこそ自分でモノを考えられない人、自分の足で立って自立できない人にとっては、極楽とも言える環境である。それを実現してくれるのが、教条主義・権威主義である。というか、自分で考えることを嫌悪するからこそ、寄らば大樹の陰の教条主義・権威主義に頼るのだ。まさにそこに身を委ねていれば楽に立っていられる、縋るべき大きく太い柱がそこにある。

それはそれで個人の生き方だからしょうがないが、生きる努力をしない生き方を正当化するための「核の傘」みたいなものとして、自分の足で立てない人達が左翼政党の支持者として集まってきたのもまた事実だ。それは左翼勢力が生まれた時から戦略的に行ってきた施策なので、少なくとも産業革命以降20世紀までの産業社会の段階では成功し成果を残したと言うことができるだろう。産業社会が生み出した大衆社会化が、大量の自立できない人々を生み出してしまったことは確かだから。

自分の存在を他者に委ねられ、思考を停止できる「教条主義と権威主義」というのは、自分を持てない人にとっては最高の環境である。実際にそういう社会を作り出せるかどうかは別として、現実を直視しなくて済む、束の間の心の安らぎが得られるだけでも幸せな気持ちに浸れる。まさに社会主義・共産主義というのはユダヤ教・キリスト教・イスラム教に続く、「第四の一神教」と言うこともできるだろう。というより、明らかに欧州におけるキリスト教の存在をヒントにしている。

悪平等が大好きなのも、自分で努力してより良い環境を掴もうという向上心が皆無だからだ。その分、逆に努力して成功する人が憎くて仕方ない。要は、自分の問題点を隠蔽し、正当化できるというところに救いを求めているのだ。カルト宗教もそうだが、人間のクズに居場所と生きがいを与えるという意味では社会的意義がないわけではないが、後ろめたい気分を一掃してそれを正当化し、さらには自分達の方が正しいと言い出すと、これはかなり問題になってくる。

あくまでも控えめに、後ろめたさを保ちつつ尊厳を与える程度がちょうどいいのだ。この境目は、バラ撒きへの依存度ということができる。生き方・考え方の部分は思想信条の自由もあり、他人に迷惑をかけない分には全く自由であり尊重される。過剰なバラ撒きを求めて公金ちゅーちゅーを始めると、税金を納めている人に対して迷惑を掛けていることになる。そう考えると、宗教の方がまだ「心の領域」に留まっている分社会的には共存可能なのかもしれない。

「壺」に全財産を注ぎ込んでも、それでその人の心の幸せが得られるのなら、それはそれで自由であろう。推しアイドルに全財産を注ぎ込んだり、ディズニー好きなあまり浦安に移住して毎日TDRに通うのと同じである。しかし左翼のいけないのは、人々の没入する気持ちを権力者の権力欲を全うするための手段として最初から仕組まれたものであるところにある。「壺で救われる」は気持ちの問題だからいいが、「壺で癌が治る」は嘘なので詐欺だ。そして左翼勢力のやっていることの問題点は、エンゲルスの昔から仕組まれたこの「壺で癌が治る」レベルの嘘であるところにあるのだ。


(26/07/31)

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