人権五段階説




古典的なマスマーケティングではよく使われた「マズローの欲望五段階説」という理論がある。一つのレベルが達成されると、更なる高みを目指す人がいるからこそ、人類社会が発展し経済が成長するモチベーションとなることを説明した理論だ。マズローはその欲求の原動力としてレベルの違う5つの要素を上げ、あるレベルに到達しそれが担保されるようになると、その上のレベルの欲求に芽生えてそれを実現するべく行動するというものである。その5つのレベルとは、

①生活生理欲求:衣食住を満たす欲求
②安全確保欲求:リスクや危険から身を守る欲求
③認知評価欲求:他者から評価されたいという欲求
④自己尊厳欲求:他者から尊敬されたいという欲求
⑤自己実現欲求:自己の存在意義を実現する欲求

であると定義した。実はマーケティングに関わってそこそこ勘のいい人間ならすぐ気がつくと思うのだが、これは全ての人間に対して成り立つ理論ではない。それは、明らかに質や構造が違う「欲求」が同列に語られているからだ。①生活生理欲求と②安全確保欲求は、生物としての人間の本質的欲求だ。そのレベルや手段はさておき、どんな生物でもこの二つの「欲求」は間違いなく持っている。それは生きてゆくために絶対的に必要な条件だからだ。

③認知評価欲求は集団生活する動物であればある程度あるだろう。ライオンがメス中心の集団を作り、そこから疎外されたオスは孤独に暮らすしかないというのは、よく動物ドキュメンタリーで記録されている。その一方で、④自己尊厳欲求と⑤自己実現欲求というのは、自分の生き方の問題だ。高崎山の猿ではないが、社会生活を行う類人猿以上の存在は社会的生物なので、その中でどう自分の居場所を作るかという課題に対し、自分なりの対処の仕方を考えなくてはいけない。

それは、てっぺんを目指して努力し続けるという行動もあるだろうし、自分はこのポジションでいいからそれをなんとかキープするという行動もあるだろう。とにかく、自分で自分の行動様式を決め、それに合わせて立ち回りを考え行動するという、かなり高いレベルの判断が必要である。すなわち他者が関わってくる③認知評価欲求以上のレベル、特に④自己尊厳欲求とに⑤自己実現欲求対しどういう行動を取るかは、本人の生き方に基づく判断が入ってくるのだ。

だからこそ安全欲求が満たされればそれで充分で、社会的欲求などどうでもいいという人だっている。人付き合いが苦手なアスぺな人などは、集団の中に居場所があるより自分一人で籠っていたほうがずっと幸せだろう。そういう意味で③から⑤に関しては正解というものはなく、百人百様で人それぞれ違うし、そもそもそういう欲求がないという人もいておかしくはない。そういう意味ではこのレベルの欲求は自分で目標を定めてそれを実現する努力あって初めて生まれるものである。

これまた古典的なマスマーケティング理論だが、ロジャースのイノベーター理論でも「ラガード」と呼ばれる流行を全く受け入れず拒否する層の存在をすでに認めている。彼等は自己実現欲求はあるかもしれないが、認知評価や自己尊厳に関しては極めて意識が薄いと考えられる。ましてやポストキャズムの情報社会の世の中では、選ぶべき生き方は多様でいにしえのような画一的な一方通行の道ではない。どの道を選んだとしても、それは自己責任で他人に迷惑をかけない範囲において自由だからだ。

そう考えていくと、人権についても天賦人権論的に誰もが平等に持っているものと、努力した人だけがその努力の成果として手にするものがあると考えるべきである。何の努力もなしに人間である以上当然尊重されるべき権利と、不断の努力の結果としてしか手に入らず守られない権利と、明らかに峻別する必要がある。情報社会においては人間の役割としての「付加価値」を生み出していることが尊重される必要があるし、それを担保する「人権」こそ情報社会にふさわしいものと言うべきであろう。

このような視点から見ると、「マズローの欲望五段階説」が提示した人間の五つのレベルは、どこまで努力し何を得ることを生きる目標としているか、という新たな基準を提示しているとも言える。これを「人権五段階説」と名付けよう。生活生理欲求と安全確保欲求に対応する部分と認知評価欲求の中でも社会的居場所の確保に関する部分が「天賦の人権」であり、認知評価欲求の中でも社会的評価に関する部分および自己尊厳欲求と自己実現欲求が「固有の人権」となる。

その鍵は、人間である以上当然享受すべき「天賦の人権」と、不断の努力によって特定個人が得た権利を社会的に守ると言う「固有の人権」を峻別できるところにある。情報社会においては機会の平等は絶対に守られなくてはならないし、コンピュータやネットワークはシステム自体は機会の平等を貫徹するようにできている。その一方で「付加価値」を生み出すかどうかが人間の存在意義になる以上、結果の平等を求めることは悪平等である。これを人権の中にウマくビルトインするにはこの方法が一番だろう。


(26/08/07)

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