まずは考えろ




AIという非常に役に立つe-コンシェルジェが誰にでも使えるカタチで登場したことで、今までごくごく一部の人しか問題にならなかったことが、広く社会一般で問題となるようになった。それは誰かにモノを尋ねる時、ある程度自分で考えて問題のありかや疑問点を把握してから聞くか、何も考えずにまず聞いてしまうかということである。極端に言うとこれは、聞く人自身が質問しているポイントと欲しい答えがわかって聞いているのか、それすらわからずに聞いているのかということになる。

電通時代はマーケティング・コンサルティング会社の経営もやったので、コンサル作業もかなりこなした。クライアントの相手が役員やトップだと、それなりにこちらも役員をやってるパートナーコンサルタントが出てきかなくてはならないからだ。クライアントが問題のポイントを的確に把握していてそこに対する答えを求めているのであれば、かなりの確度のソリューションを提供できる。まさにミッシングリンクやボトルネックがわかっていて、その解決策を求めているからだ。

ところが日本の企業では、そこがわかっていない役員やトップが多かった。彼等は自分が状況を把握できず問題点を理解できないからこそ、「何とかしてくれ」と丸投げしてくる。こっちも金をもらっている以上無碍にはできないが、解決すべき問題点が不明確である以上、答えは一般的な抽象論にならざるを得ない。そういうのをカモにするのが専門の経営戦略コンサルは得意の形而上学と禅問答で答えるが、こっちは具体的なソリューションプランこそが得意でマネタイズできるので、何とも苦労した。

このように、考えてから聞くのか、考えずに丸投げで聞くのかという、この差こそが非常に大きく、根本的な違いとなる。まさに「AIを使う人」と「AIに使われる人」である。70年代のマイコン革命の時にこの終着点として思った、人間は「コンピュータを使う人」と「コンピュータに使われる人」に分かれるという人類の未来が、現実のものになった瞬間だ。いつも言っているように人間を凌駕する超秀才なAIは、士業やコンサルと同じ。問題意識を持って使えば強い味方だが、問題意識の無い人は尻に敷かれる。

まず自分で考えれば、問題の構造がわかる。何は解決できていて、何がトラブルの原因となっているのか。それがわかった上でなら、自分では解決できない構造的問題点なり、未知の法則を適用しないと解決できないモートだったりという、解決すべき部分が明確となり、そのブレークスルーを尋ねて答えをもらうことができる。言い換えれば、自分がすでに対応できて解決している部分と、本当に橋をかける必要がある部分を明確に把握しているかどうかということになる。

その一方で何も考えずに訪ねてしまうと、それなりに「こうやりなさい」という解決策はもらえるかもしれないが、それは対症療法であり戦略的答えは得られない。結果的にその場しのぎの対応はできたとしても、自分に残る知恵は何もない。今期の売上を上げることはできても、中長期的な展望を持った戦略的対応の答えは得られない。それは市場全体は麻雀のようなゼロサムゲームで、特異な戦略を取らずみんなが当たらず障らずの戦略を取ったら全員が虚しい結果に終わるからだ。

それだけでない。何も考えずに頼ってそれなりの答えが得られ続けると、どんどん人に頼る沼に陥ってしまう。最初のボタンの掛け違えが、というヤツだ。脳が退化して、モノを考える力自体が萎縮してしまう。これは、近代日本の成功と失敗に全てが語られている。日本の近代教育システムは、ここで何度も論じているように「西欧先進国の最先端技術をベンチマークすることで、追い付き追い越す」という文明開花にオプティマイズする手法で150年以上やってきた。まさに「聞けば答え」がある状態だ。

それはそれで「日本が植民地化されずに済み、戦争で叩かれても高度成長で復興できた」という成果を産んだことは間違いない。その意味では成功したし意味はあったと言うことができるだろう。しかし、追いつくことはできても追い越すことはできなかった。バブル崩壊後の平成の歴史が何より示している。それは、すでにお手本があることを必死に覚えてマスターする「秀才」が高得点を取り、高評価を得るという学校制度が定着してしまったからだ。

促成栽培で西欧列強の最新技術を勉強した「秀才」を大量生産したが、そういう人種はより高度化したコピーはできても、新たにオリジナリティーの高い付加価値を生み出すことはできないからだ。しかし「秀才」が重用されるという組織構造は、官僚機構を規範に20世紀の日本においては社会的な規範としても共有されることになった。高偏差値の秀才は、エリートとして大組織で重用される流れが社会的に定着した。

その結果、企業でも官庁でも教育機関でも、大組織においては新たにものを考えられない人間がリーダーシップをとるべきポジションを占めるようになった。前例やベンチマークすべき相手がいる場合には、彼らは非常に優秀なパフォーマンスを発揮する。その一方で彼等の行動は自分の経験から考え出したものではない。単に勉強した知識の中から当たり障りのない「答え」を探り出しているだけである。これではネット上の全てを参照できるAIに勝てるわけがない。

このように彼等は「考える人」ではない。高級官僚がすぐ丸投げしたがることからもそれはよくわかる。しかしこれからは自分がオリジナルで創り出した考えしか通用しないし、人間に求められていない。実は考えることとは答えを出すことではない。自分で選ぶことなのだ。自分で選んだ答えが、自分にとっての正解。このプロセスを貫くことができることが「考える」ことなのだ。これなら多少練習もできるだろう。小さい頃から答えを聞くのではなくまず考えること。これがこれからの時代に生き残るカギとなる。

(26/09/25)

(c)2026 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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