教育のパラダイムシフト
すでにここでも何度も主張していることだが、日本の教育システムというのは明治以降の近代化の中で「追い付き、追い越せ」をなんとしても実現し、列強による植民地化を防ぐことに特化して築き上げられたものである。これもまたいつも言っていることだが、その目的の実現という意味ではこのシステムの投入は成功であったことは、今の日本という国が世界で持っているポジショニングが何よりも如実に示しているということができるだろう。
しかしそれがあくまでも先行する産業社会に「追い付き、追い越す」ことに最適化したものである以上、産業社会が過去のものとなってしまった今では、時代に合わない過去の遺産となってしまったことも確かだ。もう情報社会に入ってしまった以上、薹が立った産業社会向けの教育システムからいち早く脱却するパラダイムシフトを実現することは必須となっている。学生も本能的にそれを求めている。それは情報を詰め込むことから、自分というものを知らしめることへの変化だ。
この十年ほど大学で講師もやっていたが、その時に感じたことも、知識を伝授する教育はもう意味がなく、自分で問題を捉えてそれにどうソリューションを築いてゆくかを自分ごととして考えて答えを出すトレーニングが求められていることである。決まった正解を出すのはAIで充分だし、組織の中で求められるのが「道を決める」力である。業務経験のある実務家教員に対して学生たちが求めてくるのも、そういう「肚をくくる」決断の事例であった。
底上げ、嵩上げの促成栽培が、産業社会の時代においての、それも江戸時代の天下泰平の夢から黒船の来航で列強のレースに叩き込まれた日本においては、生き残りの至上命題だったことは間違いない。それが奏功して、なんとか列強の餌食にはならず、最終バスにはなんとか滑り込み20世紀前半に列強の末席を確保したものの、ABCD包囲陣で叩かれて敗戦の憂き目を見ることになる。とはいえ冷戦で救われ、結果的に度成長をとげるて昭和を全うすることができた。
その裏には、江戸時代の鎖国政策の成功により、新田開発による新たな富の蓄積や、それを生かした経済や技術の発達があったことは言うまでもない。これが内部的な近代化・高度成長の要因である。一方外部的にはユーラシア大陸の東の外れという地政学的な特徴もあり、植民地合戦では列強間の微妙な勢力均衡が起こってどこかに食われずに済んだり、第二次世界大戦後は東西冷戦の前線の防波堤として西側が味方に引き込んでもらえたりという幸運を引き寄せられたことも大きい。
ちなみにちょっと脱線になるが、ぼくの経営学科でのゼミ論文は「江戸時代豪商の家訓に見るシュンペーターの企業家精神」であった。自画自賛になるが、ぼくが学生だった70年代には、明治以降の近代化を必要以上に重視し江戸時代の経済成長を軽視する経済学者が多く(マルクス経済史的な発展段階説の影響は経済学全体にみられた)、まだシュンペーターもそれほど着目されていなかった1970年代に、よくもまあそんな論文を書いたものだ。
でもまあ70年代だったので、江戸時代が当時巷間言われていた以上に経済が発展し豪農や豪商が資本を蓄積していたことは、まだその江戸時代の様子を見聞きして知っていた祖父母から伺っていただけに、江戸時代が不憫でならず、Youthquakeのつもりで理論を書き換えてやれと言う感じで、手当たり次第いろんな書物を読んでたらそういう理論があることを見つけて、ミッシングリンクを繋げて鉱脈を掘り当てたつもりで書いたことはよく覚えている。シュンペーターがブームになるのってバブルの頃だもんね。
そう、この閑話休題がはからずもその事例となっているように、学問に立って「正解」はなく、時代とともに変化するのだ。自然科学でもミッシングリンクだったところが発見されると、「恐竜は絶滅した」から「恐竜は環境変化に合わせて鳥類に進化した」となったではないか。勉強した知識より、「それでも地球は回る」と言い切れる信念の方がよほど真理に肉薄できる。ここに気付き、これを主張できる「眼力と勇気」こそAI時代に人間に求められる力だ。
である以上、今求められている「教育のパラダイムシフト」の目指すべきゴールはここにある。ある意味これは人間力というか「生きる力」のトレーニングである。これには正解はないし、万能なやり方もない。自分の何たるかを知り、それを伸ばしてゆくにはどうしたらいいかを見つけることしかない。従って最終的には本人自身の努力によるしかないのだ。教育システムとして第三者が手助けできるのは「自分を知る」部分だけである。ここが近代産業社会の教育と最も大きく変わる部分であろう。
(26/10/02)
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