国と組織
人間の能力は平等だ。しかし、それを発揮する組織や文化は国や民族によって違う。それにより潜在能力をどう活かし伸ばしてゆくかという環境が大きく変わってしまう。結果としていろいろな分野での得手不得手ができてしまうというのは、致し方ないことである。「ポツンと一軒家」の主ではないが、子供の頃に毎日山道を何kmも歩いて学校に通っていたのなら、知らず知らずのうちに長距離の陸上競技に卓越してしまうようなものだ。
これは一人一人の体力・知力・体格といった個人に依存する問題だけではなく、コミュニティーや組織に関しても言える。どういう文化を持った組織がその国や民族で一般的かというのは、その環境により大きく異なってくる。国際社会を考える上では、この違いは大きな問題となってくる。事前に違いを理解していれば相手との関係性を構築することができるが、藪から棒に異文化と出合ったのではコンフリクトしか生まない。
世界の地域を問わず大陸国はその歴史において、互いに侵略し、侵略されまくる諍いを繰り返している。異文化が直接接しているということは、その境界線では常に緊張が走っているわけだし、勢いが均衡している間はさておき、どちらかのパワーが衰えてくれば、この機に乗じて攻め込んで我がものにしてしまおうという山っ気がむくむくと起こってくるのも当然だろう。大陸国というのは、その地政学的な構造からしてこのようなリスクを孕んでいるのだ。
その一方である程度以上大きな島国は、自分たち以上に大きな勢力が命懸けで攻め込んでこない限り、小競り合いに巻き込まれることは少ない。もちろん自分達の中での内乱的なものはミニ大陸国家的に頻繁に起こるだろう。小さな島の土侯国の間などでは、隣の島との紛争も多いだろう。とはいえ海を挟んでいるという構造的な特徴は、小競り合いのリスクを最小化する。大きな紛争はおのずと前兆があるので、対応が可能だ。元寇もそれ以前に何度も外交上の対立があり準備ができていた。
このような構造の違いは、国富の使い方に大きい差となって表れてくる。常に何が起こるかわからない状況におかれた大陸国家であれば、コンフリクトに対する防衛に係る支出が恒常的に大きくなってしまう。その一方で、常に臨戦体制に置く程ではない余裕のある島国では、平時における防衛支出は、自らの治安を守れるベーシックレベルで充分である。このため大陸国家と島国とでは、その予算配分の構造が大きく違ってきてしまうのだ。
余裕があれば文化に対する支出が増える。防衛か文化かという選択だ。文化に対する支出を増やしたくても、それで防衛が疎かになってしまうとここぞとばかりに攻め込まれる。そうやって滅びた王朝の例は、世界史上いとまを問わない。ヨーロッパにおいては産業革命の響きが聞こえるまで、富裕層であっても市民層が文化の担い手となれなかったのは、こういう理由から富が絶対王政に吸い上げられて文化に投入されることが少なかったからだ。
インバウンドの観光客が日本の文化や社会に触れて感激するのはそこだ。特にヨーロッパやアジアなどの大陸国家で、国と国が国境を接してその線を歴史の中で敷き直してきた国の人は、その文化的余裕に驚くであろう。国がなくなり民族がバラバラになる危機の前には、とても文化などと言っている余裕はない。文化に富を寄せて築き上げたとしても、それにより防衛力が低下することとあいまって、攻撃されて略奪する危険性を増すだけである。
ある意味これは、ユーラシア大陸の東西にある島国である英国と日本の共通するところである。英国はローマ帝国時代や中世においてはヨーロッパの辺境であった。特に中世においてはヨーロッパでも最も貧しい地域の一つであった。それにもかかわらず、いち早く産業革命を成し遂げ技術と発明で富を生み出すという、それまでの人間社会にはなかった利殖方程式を作り出し、陽の沈まない大英帝国を築くに至ったのは、独自に文化を育める島国だったからだ。
同じく日本も、内部抗争と夷狄との抗争に明け暮れて、集中と離散という王朝の衰退を繰り返した東アジアの状況からは一歩間合いを置き、自分達なりの歴史を作れたというのがそれを示している。特に戦国時代という大内乱時代を経たあと強力で安定した徳川幕府が成立し、安定した治安と経済を全国的に実現したため、武士も庶民も基本的に文化中心の社会を構築し、独自の発展プロセスをへてそれを熟成させたからこそ、開国以降も独立を守れる国力を持てた。
そういう意味では、隣の芝生をベンチマークすることは国際社会では実は意味がない。たしかに日本のように締め切りギリギリに近代国際社会に出てきた国にとっては、「追い付き、追い越せ」でベンチマークすることは必要だったが、国際社会でのアイデンティティーには国として民族としての「自分らしさ」が何より不可欠なのだ。日本のそれは実は世界の中では認められている。インバウンドの人たちの日本を見る目がよくわかってきた今だからこそ、それを実感しやすいし実感すべき時なのだ。
(26/10/09)
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