衆議院選挙の結果に思う






6月25日に行われた衆議院議員選挙の結果がでた。実は6月25日というのは、日本でいう朝鮮戦争、韓国でいうその名も6・25動乱の始まった日でもあるのだが、ほとんどニュースでも意識されないまま、選挙一色に終始した感がある。でその選挙だが、多くの人にとっては「泰山鳴動して」という感想がほとんどだったのではないだろうか。実にほどほどのところで収まってしまった。確かに細かく見てゆけば、大物の守旧派議員の落選とか、与党の後退、民主党の躍進、いろいろな変化はあるのだが、傾向値でいえばそんなに変わってはいない。

しいていうなら、自由党が少し伸ばし、共産党が少し減らしというところで、有権者の良識が発揮されたといえないこともないが、それとて大勢に影響があることではない。二世・三世議員についても、ぼくは世襲は問題視しないし、逆にそれはいいことだと思う。少なくとも無条件で世襲というのでなく、ある種の選抜フィルタがかかるのなら、一般公募より絶対いい。少なくとも才能は遺伝するものであり、ある分野でズバぬけた才能を発揮した人がいたなら、その血縁関係を探れば、同様の能力を持つ人が見つかる確率は、圧倒的に高くなるからだ。

でも、なんとかいってもこの結果には煮え切らないものがある。みんなそうだろう。悪くはないけど良くもない。そこそこ目先は変わっているが本質は何も変わっていない。それは誰も「政策」を論じえなくなってしまったという点だ。総俗物化。その原因としては、自民党という一つの政治システムが、本来の機能を発揮しなくなったところに問題があると思う。この点については、どんな政治評論も的を外しているとしかいいようがない。そりゃそうだろう。この本音は少なくとも日本のマスコミではいうことを許されないのが建前だからだ。

自民党というシステムは、日本において政策決定し、それを実行してゆくためにはすばらしいシステムだったと思う。誰が考えたのか知らないが、55年体制を作り上げた幹部は、慧眼だったと思う。そのポイントは、政治家と政治屋(StatesmanとPolitician)をウマく分けた上で、両者のメリットをウマくバランスさせた共存させた共存関係を構築したところにある。政治屋は自分の議席にしか興味がない。従って、地元への利益誘導ができれば、国レベルの政策がどうであろうと、一向に構わない。従って、利益誘導の保証がえられれば、その政策が何でも党議に従うのはやぶさかではない。

一方ヴィジョンのある政治家は、高邁な政策上の理想を持っていても、民主主義という困ったシステムがある以上、票を集めなくては実行できない。しかし、政策は票につながらない。ここに民主主義のジレンマがある。大衆は政策の問題など理解することができないからだ。しかし、政策ヴィジョンを持つ政治家が党のリーダーシップを取り、利益誘導と引き換えに政治屋と取り引きし、いわば議場での議決権と利権をバーターするシステムを作り上げられれば、安定的にヴィジョンのある政治運営ができる。これが自民党という政治システムの優れた点だ。

これがあったから、冷戦の時代にもイデオロギーを越えた政策がとれたということができる。たとえば、自民党のとってきた労働政策、農業政策は、極めて社会主義的だ。それは、社会主義的な悪平等の導入が、実に票獲得に有効に機能したということを意味している。この残滓はいまでもある。今回の選挙公報を見てもわかるが、未だに零細農家や商店の保護や、そのための規制を主張しているのは、共産党と自民党の守旧派しかいない。社民党にも似た論調はあるが、ほとんどアナクロな「護憲」の旗印の下に隠れていた。彼らはある意味では、同じ穴のムジナなのだ。

だがよく考えてみると、これは高邁な政治理念を持つ少数の政治家と、俗物根性の多数の政治屋とが同居していてはじめて成り立つシステムだ。自民党という政治システムが機能しなくなったのは、別に冷戦体制の崩壊でもなんでもなく、この政治家と政治屋のバランスという基本構造が崩れてしまったからだ。自民党の成立当初、リーダーは自民党という組織とは別のところで育った政治家達だった。だが、その後の自民党が育ててきたのは俗物的な政治屋が圧倒的に多かった。

そして日本の組織の常として、悪貨は良貨を駆逐するというか、人の上に立つ人はどんどん育たなくなり、現場的な俗物ばかりになってしまった。まさに、いつもいっている日本の組織の不幸がここにも起こっている。こうなるとアタマのない手足だけが右往左往することになる。実は、今起こっている政治の行き詰まりって、こういうことなのではないか。「民主主義」の制度疲労。近代工業社会の虚構を組み立てるための手法にすぎなかった「民主主義」など、もう時代遅れだ。そろそろ本音をかたってもいい頃ではないか。バカバカしい、民主主義なんかヤメるべきだと。

(00/06/30)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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