表現者魂





類は友を呼ぶというコトバがあるが、幸か不幸かぼくの廻りには、音楽やったり、モノ書いたり、絵描いたりする人が多い。当然ハナシ相手もそういう連中が多くなる。実生活がそうなのだが、インターネットとかでもやっぱりおなじことだ。特に、何かを表現したいとか、何かを作りたいというモチベーションの話については、こういう皆さんには、ごくごく共通する見解がある。その一方で、そういうことをやらない「ふつーのヒト」と、そういう話題について話し合うことはあんまりない。ごく最近そういう機会があったのだが、けっこう驚くことがあった。

恥ずかしながら、人間である以上ある種の表現欲求というのは、食欲、性欲と同じように、強い弱いはさておき誰にでもあるモノと思っていた。しかし、こういう気持ちは、どうもすべての人にあるワケではないらしいことに気がついた。表現欲求というのは、言い換えれば「みんなを幸せにしたい」ということに、喜びを感じるかどうかということになる。あるいは「みんなが幸せになってくれるのをみるのが、自分にとってうれしいかどうか」といってもいい。そういう感情は誰にでもあるのではないことを知ってけっこう驚いた。

もちろん、自分、配偶者、子供、家族、といった人達に「幸せになってほしい」と思う気持ちは、程度や性格の差はさておき、人間誰にも共通する感情であることは間違いない。しかし、それを越えた関係性の相手にも幸せになってもらい、それがフィードバックしてくることにこの上ない喜びを感じるかどうかということになると、これはもう普遍的なモノではないのだ。これ喜びを感じないと、そもそも人前でパフォーマンスする意味がない。パフォーマンスを単なる感情の排泄と区別するモノは、この感覚だ。ステージに立ちたいかどうかという欲求の有無も、どうやらこの感覚があるかないかによって差がつくようだ。

自分の幸せは、それをみんなに向かって表現することで、みんなの幸せになる。そしてみんなの幸せは、拍手や喝采として客席が盛り上がることで、自分の幸せにフィードバックする。これが無上の喜びになるからこそ、パフォーマンスは一度ウケたらヤメられなくなる。そしてこのループが相互連鎖的に拡大するプロセスこそが、ステージの醍醐味ともいえる。スポットライトに秘められた魔力といってもいい。音楽も、演劇も、リアルタイム系のパフォーマンスの原点はここにある。

そして、この「プラスのフィードバックループ」を生み出す力こそ、表現力と呼び換えることができるものだ。客席が、プレイヤーの表現に呼応してうねり出す瞬間。これを一度体験してしまうと病みつきになる。まさに表現者冥利ということができるだろう。それがすべてのヒトにとって、決して「自分がやりたい」役回りではないというのだ。ステージに立つべく生まれてきた人と、あくまでも観客として見るべく生まれてきた人がいるということ。これには愕然とするところもあったが、考えてみれば悪い話ではない。

さてパフォーマンス系のアートだと「観客」という視点は明確だが、作品系のアートでも「観客」というファクターは重要だ。それが見えにくくなっているだけの違いだ。心の中にある感情を、一度作品として客体化する。それは明らかに、感情を客体化させることにより、第三者にも可視的なモノに置き換えるというプロセスだ。つまり「それを見るヒト」を必要としないのなら、作品化するモチベーションはない。作者の心の中のモヤモヤした襞のままでも、本人としては充分にその存在を意識できるし、認識できる。

それをあえて作品という具体的なカタチのあるモノにしなくてはならなかったということは、見るヒトの目に触れるというプロセスがどうしても必要だったからと考えられる。たとえ作者に秘蔵され、作者以外の誰の目にも触れなかった作品があったとしても、それはやはり客体化される意味があったからこそ、作品になったと考える必要があるのだ。その場合は、客体化した作品を見つめる作者自身が、観客となっていると考えられる。表現者=観客であっても、一度作品化されることで、ひとりの人間が二つの役割を果たすことができる。そうなれば、自分の中で「プラスのフィードバックループ」を創り出すことができる。この場合は、作品を中心に、同じ人間が「作者」と「観客」のモードをシーケンシャルに果たしている。

そう考えてゆけば、作品系アートでも問題の構造は同じであることがわかる。どういうジャンルであっても、表現者は観客を必要とし、観客に対して「幸せ」を分け与えることで、自分も至福の瞬間を得るのだ。表現者の表現者たる由縁は、この「幸せの共有化」「幸せの客体化」をもたらす力を持っているかどうかということになる。そういう意味では、自分がそれを持って生まれてきたということなのだろうし、それはとてもハッピーなことではないか。なんかいままでモヤモヤしていた部分まで、すっきりと見えてきた感じだ。妙な体験ではあったが、なかなか後味はいいぞ。


(00/07/07)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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