このごろの女性ヴォーカル -2000年版-





さて、今年も下期に突入。下期といえば恒例になった(でもないか)、このごろの女性ヴォーカルシリーズ。ディーバブームもとどまるところを知らず、続々と登場してますが、とても全部認識できてないよ。そもそもタイプの似てるのが多いし。まあいろいろある中でも、良きにつけ悪しきにつけ気になる女性シンガーを取り上げてみましょう。まずはこのヒトから。

倉木麻衣

一言でいってしまえば、「ポップスの王道」ということでしょう。流石。日本流のティンパンアレイ方式を築いたビーイング戦略は、やっぱりスゴい。目のつけどころも、それをカタチにする方法論も。宇多田ヒカルとの比較を語る人も多いけど、枝葉の部分で似てるところはあっても、中身は全然違うからね。そもそも宇多田ヒカルって、本領出しまくったら、濃すぎるし難しすぎて、一般人にはついていけない表現力の持ち主じゃないですか。それがまだ若かったから、完成度が追いつかず荒削りなところがあって、それが結果的にビッグセールスにつながった。と、いうのが本当のストーリーでしょ。だから、宇多田ヒカルのアルバムを買ったヒトのかなりの部分は、彼女としては表現しきれてない、つたない部分(ミスの部分といったらいい過ぎかもしれないが、そういったほうがわかりいいかもしれない)が心地よくて聞いてるといってもいいと思う。

で、それを見抜いたスタッフは偉い。これぞオロナミン理論の実践(笑)。たとえていうならこんな感じか。町に一軒本格タイ料理屋ができて、スゴく繁盛している。でも客は本格的なタイ料理が食べたいんじゃなくて、タイ料理風の味付けに惹かれているだけというのを見抜いたヒトがいた。で、確信犯でトムヤムクン味のカップ麺を出したら、これが見事に大ヒット。みんなが食べたかったのは、ホントはこっちだったんだ。みたいな。パクりは誰にだってできるけど、こういう「プロの技」は、相当にレベルが高いスタッフが揃ってないとできない。宇多田ヒカルは、年とともに成長して、一般人の口にあわなくなるほどスゴい表現者になる日がくる可能性が高いけど、このチームは大丈夫ね。万が一、倉木本人が成長したとしても、同じスタッフで、次のふわふわしたシンガー持ってくればいいんだから。これもまた大幸さんの確立したマーケティング理論だけど。ということで、○。

小柳ゆき

これほどまでに無機的な唄を唄うヒトが、こんな風にフロントラインに立って名前がでるというのも、考えてみりゃおそろしい。ある程度音楽やってる人なら唄を聴けば、シンガーが何を表現したくて唄を唄っているのか、何を心に思いながら唄を唄っているのかすぐ解る。でもこのヒトの唄はいくら聞いても、「わたしってなんて唄が器用なんでしょ」「わたしの声ってなんていい声なんでしょ」以外のことが伝わってこない。はっきりいって、こりゃ唄じゃないよ。声だけど(笑)。こういうヒトは、コーラス隊にはなれても、メインのシンガーにはなれないというのが鉄則なんだけどなぁ。ぼくには、金だしてまでこれ聞くヤツの気がしれない。もちろん個人の自由だけどね。それだけ金が余ってるってことなのかもしれない。不況だといわれるけど、景気のいいことで。

考えてみりゃそもそも今の音楽なんて、所詮はBGMとして使われるのがほとんどだし、そのためなら表現メッセージがない方がいいというのも確かだよな。割り切って金になりゃそれはそれでいいんだろう。100円ショップも、不要なモノでも面白がって買わせちゃうようになってから、今の隆盛を築いたわけだし。しかし、この唄なら合成でできますよ。音声合成シンセサイザーとかできれば、いちばん最初にターゲットになるのはこの手のシンガーでしょうね。今の技術だけでもかなりいくんじゃないのかな。MIDIができたとき、カシオペアとか真っ先にコピーされたし。そう考えるとテクだけのって、日本人好きなのかもしれない。そもそも手先だけで中身のないヒトが余りに多いし。ということで、大×。

SILVA

ぼく的にはね、けっこうこのあたりをどう評価するかが、雨後の竹の子のようにでてくるディーバ達をどう評価するかという上での重要なポイントだと思うのね。基本的には格好つけの「おっしゃれー路線」ではない。どこまでできているかはさておいても、自分なりの表現方法を創り出そうという方向性も感じられる。そういうわけでぼくは好きだし、OK。セーフのほう。いいと思うよ。その分、泥臭くてイヤだという人が多いだろうけど。変な話だけど、西洋コンプレックスが感じられるのってダメなのね、ぼく。コンプレックスがあるんだったら、「なんだこの毛唐」って開き直って攘夷路線とれっていうの。コンプレックスがあるのに、いやあるがゆえに、ほいほい尻馬に乗ってモノまねしてるんじゃ何をかいわんやだよ。だめ、絶対。許さねえ。

これは女性ヴォーカルでも男性ヴォーカルでもいいんだけど、ハウス系というかループのリズムに演歌のコブシの効いた、いかにも「歌謡曲」的な表現手法を駆使した唄をのっけたサウンドでてこないかな。グルーブとコブシって絶対ハマると思うんだけどな。そうなったら、もろぼくの世界になっちゃうけどね。言われる前に言っておこう。美空ひばりさんとか現役バリバリだったら、当然そういうのやってただろうし、それでも自分の世界に引き込んじゃうんだろうけど。なんで、格好をつけた「ものマネ」が好きなプレイヤーが多いのかね。耳のあるリスナーにしてみれば、本当は泥臭いのがいちばんスタイリッシュだと感じるんだけど。自分を持ってないヒトは、やっぱり他力本願なのかな。ブランドものをつけてないと、自分のセンスに自信がないから、不安で仕方ないみたいな感じで。ということで、○。

MIHO

ま、どこまで「歌手」として評価できるの、という声もありそうだけど、企画モノと考えても、バンドというかサウンドシステムのシンガーという意味では充分評価できるし、すべきじゃないのというのがぼくの見方。で、おわかりと思うけど、基本的に肯定的というより、好きだよ。こういうの。わかるヒトはわかるでしょ。ほら、そこの笑ってるあなた。連想しすぎだよ。んでさ、唄にはバランスっていうのがあるのよ。身の丈というか、等身大というか。自分より大きく見せようとしても、それは本人の自由なんだけど、見てるヒトにはわかる。あ、シークレットブーツはいてるなとか。カツラだな、こりゃとか。で、ダマされるヒトも多いけど、違和感感じで見破る人も多い。

それなら、さいしょから「スゴいぞスゴいぞ」なんてリキまず、「わたしの身の丈はこれだけ」って、開き直ったほうがよほど好感度は高いはず。昔のアイドルもそうだし、昔の「ニューミュージック」系のシンガーソングライターもそうだった。唄ってそういうもんなんだよ。何度も言うけど、唄なんて体育大会みたいにテクニックの限界を競うものじゃなくて、気持ちが通じてナンボなんだから。どうしてソウルミュージック的なアレンジになると、それがすっ飛んじゃうんでしょうかね。テクニックしかないから、そういう音楽に惹かれるのか。そういうグルーブに包まれると、テクニックを試したくなるのか。鶏か卵か。でも、どちらにしろダメよ。それなら、こういうほうがいい。マイペースこそ、マイスタイル。長い目で見りゃそっちしかないはずなんだけど。でも降谷建志って才能あるね。ラップって、本当は音楽の才能と演劇の才能と両方ないとできないんだけど、彼はあるよね。どっちもないラッパー日本に多い中で。ということで、まあまあ○かな。


aco
今の時点の日本の歌手で、「いちばんソウルフル」っていえばacoをおいて他にはないんでは。そもそもソウルミュージックって、自分、そして自分の心・内面をさらけ出して唄うからこそソウルなワケでしょうが。曲やサウンドの形式じゃないんだよ。デカい声だして張り上げりゃいいってモンじゃないんだよ。だから卑近な比喩をすれば、ハダカですっぽんぽんの状態で唄ってこそソウルだし、それが生々しいほどソウルフルってことになる。別にカラダがハダカであることが大事なんじゃなくて、心がハダカなことが大事なんだけど。それは80年代のアラーキー師匠の「ヘアヌードより猥褻なポートレート」や、宮下マキの「部屋と下着」シリーズが、なんでゾクゾク来るのか、っていうところと共通してるポイントだよね。心がモロ出し。そのワリに、日本のいわゆるR&Dディーバって、なんか「さらけ出す」どころか、「寄せる補正下着」や「サポート下着」着まくった上に、パッドとかも入れまくり、おまけにドラッグクイーンよろしく厚化粧みたいなヒトばっかり。本人がどこにいるかわからない。肉がどこにあるのかわからない、コロモばかりの昔の学食のトンカツみたい。上げ底が好きならまだしも、そんなのに騙されちゃダメよ。

でも、はじめて彼女のヴォーカル聞いたときは、もう「ヤられた」って感じ。か細い喉声中心で、だけど類い希れな唄い回しで、とてつもない表現力を発揮する女性ソウルシンガーって、日本人でソウルやるならこれしかない、と思い続けてきたコンセプトなんだよね。ぼくが。実際そういうプロジェクトも多くやってきたし。ぼくのイメージにモロズバじゃないけど、かなり近い線狙ってるなと思ったし、それで完成度高いし、ってことで脱帽。とはいうものの、次の瞬間には難しいことはいわずに気に入っちゃったのはいうまでもない。洋楽の誰々の縮小再生産なら、その本物聞けばいいの。彼女は自分自身がオリジナリティーだから。ほんと、個性のユニークさも、方法論のオリジナリティーも、グローバルレベルだと思う。がんばって。応援してまっせ。日本のソウルはこれしかない。もう◎。

しかしこのシリーズ、徒手空拳で書くわけにもいかないので、レンタル屋、中古屋回ってネタ仕入れてチェックしてから書いたんで、今回は資金がかかってるぞ。それもあって、バイアスかかってますね。趣味の。でも、ま、いいか。

(00/07/14)



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