ガタガタ騒ぐな






雪印食中毒事件以来、なぜか新聞紙面では、食料品への異物混入報道が目立つようになった。やれ、虫が入ってるだの、プラスティック片が入っているだの、毎日毎日うるさい限りである。特に、虫や小動物の「混入」が目立っている。しかし、食中毒と混入とは意味が違う。食中毒は問題だし、食品を扱うモノにとっては犯罪行為だが、混入はあくまでも程度問題であり、それをどう思うかは、当事者のとらえかたの問題だ。レベルによっては常識の範囲かもしれない。もともと日常茶飯事に起こり得ることであり、過敏に反応しているとしか思えない。きゅうりが曲がっていてもイヤという、過剰な潔癖症、清潔症の発露と考えるべきだろう。

そもそも、食品は食品。企業の製品だからって、特別視するほうがおかしい。食品製造なんて、工場といっても大規模な調理場のようなものだ。クリンルームや宇宙空間で作業しているのではない以上、どうしても起こり得ることはある。ここで視点を変えて、企業の製品でない、たとえば農作物ならどうだろう。野菜に虫がついているのは、決して珍しいことではない。枝豆にいも虫が「混入」していることは良くある。子供の頃は、たんぱく質の味とかいっていたが、口から出していも虫を見るよりは、そのまま喰ってしまったほうが気分的にいいので、飲み込んでしまうモノだ。同様に、買ってきたキャベツにあお虫がついていることも良くある。誰も文句は言わないし、それどころか、無農薬・有機農法の印として喜ぶ人もいる。

実際、露地栽培で作った枝豆など、虫がいっぱいついているが、その分おいしい。かえって農薬づけで、虫も付かないほうがおかしいではないか。もちろん同様の例は、魚介類にもある。釜揚げのシラス干しには、いろいろ小さいタコとかエビとか混じっていることも多い。味噌汁の具のにいれた貝のなかから、カニの小さいのとか。別の小さな生き物がいろいろ出てくることもある。貝といえば、ひと袋の中に一つや二つ、口を開かない死んだのが混じっていても、誰も、それは常識の内として許している。程度問題だが、自然の産物である食材は、そういうものなのだ。

一方、調理したり食べたりする環境もある。海外旅行マニアにとっては、アジアなどの屋台にいってみれば、虫や小動物に文句を言っても仕方ないことは常識だ。そこまで含めて、エスニックフードマニアは、その雰囲気を楽しんでいる。アジアで加工した食材なら、そういう環境で調理されているわけだ。それで食中毒が起こったのならいざしらず、なんか入っていたというだけで、現地のヒトを責めるのは、見当外れといわざるを得ない。ひるがえって、日本だって昭和30年代ぐらいまでは、食堂とかハエがぶんぶん飛んでいるのは当たり前。ハエ取り紙や食べ物に被せる網とか、どこでも見られたし、食べはじめたらハエとの競争になることもしばしばだった。

当時は、生のものこそ注意したが、火を通すものについては、けっこういいかげんで、虫が付いていようと(昆虫のみならず、寄生虫卵もついていた)、泥が付いていようと、水洗いでOKになった。これは、野菜だけでなく、魚や肉も同じ。腐っていなければ、火を通せば喰えるというのが常識だった。それだけでなく、昔は野菜を生では食べなかったという。生野菜は、戦後進駐軍によってサラダが導入されてはじめて、庶民の間にまで普及するようになったものだ。もっとも、昭和30年代でも、特に生野菜については神経質であり、「洗剤で寄生虫卵を落とす」なんて、今のヒステリックな環境派が聞いたら目を剥くようなことも、どうどうと行われていた。というより、それが洗剤の普及の理由でもあった。だが、火を通せば大丈夫という常識も残っていた。

問題は、コストと付加価値の関係でしかない。低コストを取るか、付加価値に金を払うか。それもどこまで出す気があるかだ。安いのがいいのなら、毒でない異物が混じっていようと、取り除けばいいだけの話ではないか。芋について泥と同じ。田舎の道路際で売っている直売の野菜なんて、どれも取りたてで泥や埃、虫食いの痕などそのままだ。スーパーで売っている規格モノの野菜とは違うが、その分安くておいしい。使う側がそういうもんだと思って我慢すればいいだけのはなしだ。それがいやだったら、ワタ出しして三枚に下ろしてある魚と同じ。その分のコストを負担すればいいだけのこと。そんなモノ当人の問題だし、当事者同士で解決すればいい問題だ。マスコミが騒ぐようなことではない。もっと、紙面を使うべき重要な問題はたくさんあるだろうに。

自然食とか、そういうものに関心の高く、泥付きの野菜とか喜んでいる人が、喜々として異物探しに奔走しているのは、実に滑稽でもある。少なくとも虫が入っているということは、その原料か半製品か、どのレベルにしろ、自然のままの虫も喜んで食べていたということではないか。調理器具の破片はちと違うにしろ、取り除けば喰えないことはない。その日の喰いモノにも困る時代には、とても考えられないようなクレームだ。もうすぐ、ペットフードに異物が混入していたと騒ぐ人が現れるかもしれない。でも実際騒いでいる人の中には、飲み屋でゴキブリつかまえて焼き鳥の皿にのこったタレの中につけて、一皿分タダにしてもらう輩と同じような、便乗愉快犯の連中が多いのではないかとふんでいるのだが。


(00/09/01)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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