公明正大






「ウソをつかない」「隠し立てをしない」。人間の倫理に最低限の基本があるとするならば、これは基本中の基本といえるだろう。どんな時代であっても、長い目で見れば必ず正しいほうが勝ち残る。このルールが、人間の集団を「社会」として成り立たせてきたことはいうまでもない。これは、これからのコンピュータ・ネットワークの時代、情報化の時代になっても変わることはない。それどころか、真実をありのままに伝える「ディスクロージャーの原則」は、今まで以上に重要になる。それは、ネットワーク社会内で信用を獲得する方法は、徹底したディスクロージャーしかないからだ。真実を語る人は信用される。この原則は、情報メディアが発達すればするほど意味を持つ。

そういう構造があるからこそ、ネットワーク時代に「プライバシー」を主張する人は、どこかうしろめたい人だと思われても仕方がないだろう。これは前から何度も語ってきたことだが、基本的に公明正大でなくてはいけないネットワーク時代には、プライバシーという概念自体有り得ないのだ。「プライバシーの尊重」を強調すればするほど、そのヒトには何か隠したいものがあるんじゃないか、うしろめたいところがあるんじゃないかと勘ぐられても仕方がない。全てディスクロージャーしガラス張りになったヒトが登場してしまえば、「プライバシー」の名の裏には、必ず何かが隠されているのではないかという疑惑を生む。

この構造変化は、特に政治家では致命的になるだろう。行動スケジュールも、資産も、全て裏の裏までインターネット等で公開する。それを見たい人は誰でも検索できるようにする。こういう政治家が一人でも登場すれば、それをしないというだけで、「裏がある」と判断されても仕方がない。さらにコミュニケーションだって公開する。盗聴どころか、電話もmailも、全て内容を公開し、リアルタイムで見れるようにすればいい。行動が公明正大で、やましいところがないなら、それで困ることなど何もないはずだ。そう考えると、政治家でもプライバシーの保護に積極的な人ほど、裏で何か人に言えないことをやっているんじゃないかという気がしてくる。

そもそも、すべての人間が皆やましいことをやっているわけではない。どちらかといえば、生マジメに生きているヒトのほうが多いだろう。それにもかかわらず、なぜかプライバシーの保護を主張する人が多い。なぜ、本来必要のないプライバシー保護の主張をしたくなるのか。それは、各人がうしろめたい気持ちを持っているからだ。自信を持って主張すれば何でもないことなのだが、自信がないからこそ言わずにすませたい気持ちになる。自分自身の心にそういう「弱さ」を持っているからこそ、カムアウトすることを必要以上に恐れる。その恐怖心は、ひとえに当人内部の問題だ。プライバシーの問題を気にすることは、自分の心の弱さをひけらかすことと同じなのだ。

実は、このうしろめたく思う「心の弱さ」は、日本社会の色々なところで問題を引き起こしている。しばしば問題になる、イジメや差別。ここにも同じルーツの問題がある。本人がそれを隠したい、うしろめたいと思っているからこそ、イジメるネタにできるし、差別するネタにできる。近眼でメガネを掛けている人なら、誰の目にも近眼であることは明確だし、本人もカムアウトしているのだから、単に一つの特性に過ぎない。しかし、人知れずコンタクトを入れて、近眼であることを隠している人なら、容易に近眼であることを理由にイジメることができる。このように同じ特徴があっても、それを当人がうしろめたく思っていれば、簡単にイジメたり差別したりできる。

ポイントは、当人がうしろめたい気持ちを持っているかどうかだ。そこに心の弱さがあれば、イジメ、差別の付け入る隙間がある。しかし、当人が自信を持ち強靭な心を持っていれば、単に「違う」だけで終わってしまう。誰もイジメられないし、誰も差別できない。確かにイジメる側には、日本特有の同質性への志向という大きな問題がある。これがあるから、異質なものを攻撃し、それにより自分達の虚構の同質性を強調したがるという、日本的な悪癖だ。しかし、いじめられる側にも同質性・均質性へのあこがれがあり、自分の異質性を「できれば否定した」と考えているからこそ、付け入る隙を作っていることも確かだ。

自分の土俵に、自分の足で立つ。自立するための基本中の基本だが、これができない日本人が余りに多い。自分の居場所をキープすることすら、他人に頼ったり、集団に頼ったりする。他力本願の温情期待。これでは、いつまでたっても心の強さを確立することは不可能だ。この面では、イジメる側もイジメられる側も、まさに同じ穴のムジナ。自立できない弱さを相手になすりつけているだけのこと。集団に頼るな。他人に頼るな。自分の足で立て。今後の情報化した社会では、自立した人間しか生きられない。他力本願の持たれ合いに汲々していても始まらない。大事なのは、他人がどうあろうと、ブレないし変わらない自分をどう確立するかだ。うしろめたく思ってるヒマなんかないぞ。

(00/10/06)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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