自由へのねたみ






古今東西を問わず、何かを「毛嫌い」する人間というのは、必ずいる。そして感情的なまでに強力な忌避が起こるプロセスは、およそ共通している。それは、自分は「そっち側」と、実は同類なのだが、絶対に同類と思われたくない場合だ。ホモセクシュアルを毛嫌いする人ほど、実は多少その気がある、というのはよく言われる。全然その気がない人は、「別にそういう人がいたっていいだろう」ぐらいで、「蓼食う虫も好き好き」とは思うかもしれないが、それ以上コミットしたい問題とは思わない。しかし、その気があるけど知られたくないと思う人は、その事実を自分自身わかっているからこそ、必要以上に拒否することになる。

今問題になっている、「差別」や「いじめ」が起こる理由もこれに近い。似たもの同士だからこそ、「俺は違うんだ」と必要以上に強調したがる。そうしないと第三者から共通点を強力に指摘されることになるからだ。実はほとんど違いがない、同じ穴のムジナ。だからこそ、けっきょくはイス取りゲームで、同じように最後の一席を競うことになる。そうなるからこそ、「オマエとオレとは違う」ことを立証するのに過剰なまでに敏感になる。自分と相手の間にくさびを入れれば、相手を犠牲にして自分が助かる。だから、「いわれるより先に、違うといった方が勝ち」とばかりに、いじめに走ることになる。

日本は、元来地域ごとに多様であり、多様であるがゆえに豊かな文化や経済を育んできた。少なくとも、戦国時代までは完全にそうであった。中央権力はあったものの、各地域を支配していの権力者を把握しただけであり、その末端、一人一人まで直接その影響を及ぼしていたのではない。あくまでも間接支配であった。たとえば、律令制下の戸籍は、税を徴収するための課税基準を明確にするためのものであり、実際にそこに済んでいる人々を正確に把握していたわけではない。ある意味で、この構図は古代国家、中世国家の特徴でもある。

近世に入って、信長、秀吉、家康と、本当の意味での「中央集権」である「絶対王権」が確立するとともに、はじめて直接国民一人一人を掌握する前提が整った。もちろん、近代国家のように、完全に掌握したわけではないが、それまでの間接統治に比べれば、そのコミットの度合は段違いである。ここではじめて、メインストリームとアウトサイダーという構図ができる。圧倒的多数がメインストリームとなってはじめて、アウトサイダーが規定できる。多様性が担保されている間は、本当の意味で差別につながる「アウトサイド」はありえない。どんな差異も、単なる違いでしかないからだ。

中世においては、社会的に多様な機能を、社会的に多様なポジションにある人々が果たしていたことは、文献調査や考古学的調査の成果により、続々と明らかになってきている。すでに人々の間での役割の差異は認知されていた。しかしそこにおいては、後になって見られるように、その違いを「貴賎」として捉える意識はほとんどなかった。一部においては萌芽的な上下関係があっても、まだその後の差別意識のようなものにまで至っていなかったことも明らかになっている。

その典型が、中世都市の自由民だろう。都市の自由民が、戦国時代に至る時期の経済の発展に大きな役割を果たしたことは、驚きを以て記述された、キリシタン宣教師の記録を見ても明らかだが、彼らはどこにも属していないアウトサイダーだったからこそ、自由な経済活動ができた。しかし、それが彼らの身分を不当に低めるものではなかったことも明らかだ。また、既存体制に組み込まれない聖域・アジールの存在も、この時代の特徴として検証されてきている。商業活動に従事した人々が「悪党」と呼ばれたように、必要悪的に捉えられていた面がないともいえないが、体制外も含めてインタラクションが日常的に行われていたのも確かだ。

それが近世に入って変化した。全国統一の絶対王権が成立するとともに、農民としての国民を直接支配する体制が築かれた。コメ作りの国としての日本観も、この時期に形成された。瑞穂の国の農民国家信仰、アウトサイダーの確立とその被差別者化。これは表裏一体の過程だ。「寄らば大樹の陰」の、中央に結びつく太い幹にどれだけ近づき寄りかかるか。その過程で、実は同根でありながら、「ヤツらは我らとは違う」集団をでっち上げ、それを差別の血祭りに上げることで、自分達がメインストリーマーの側にモグり込むための通過儀礼としたのだ。

まさに「寄らば大樹の陰」といえば、あのいまわしい「甘えと無責任」のキーワードだ。そういう意味では、日本人の「甘えと無責任」の歴史も、またここから始まるということができる。そう考えれば、「甘えと無責任」にひたりきった人々が、どうして差別をし、いじめをするかがおのずと理解できる。強力な中央集権国家がない間は、自分達の身は自分達で守らなければならない。それは古くは弥生時代の環濠集落にしろ、東国武士団の家の子郎党の「牧」にしろ、頼るべき中央権力がない状態では、いわば独立愚連隊になるしかない。

地球的規模で見れば、近世から近代は、一つの連続した流れである。各国別に語ることができない、全世界的な変化だ。15世紀から17世紀にかけて起こった変化。それはどの国をとっても、直接、間接のインタラクションの上に成り立っている。大航海時代以降、人類的視点、地球的視点なくして、ダイナミズムは理解し得ないものとなったのだ。たとえば日本においても、種子島への鉄砲の伝来を踏まえずして、その後の戦国時代から近世統一王権の成立を語ることはできない。

そういう地球史的なレベルで今をみつめれば、近代が崩壊し、パラダイムシフトが起こっていることは否定し得ない。この4〜500年に渡り、人類を規定してきた枠組みが崩壊しつつある時代なのだ。日本の強引な中央集権化と虚構の「同質性」、日本人の「甘えと無責任」の行動様式。これらのバックポーンとなってきたのは、まさに人類史としての「近代」の特性であった。それが今壊れようとしている。これはまた「近世」「近代」とともに成立してきた、メインストリームとアウトサイダーという「いじめ」と「差別」の構図に、大きな変化を生じさせずにはおかない。

元来自由民であった人々が、領主の支配下に入り不自由民となったとき、数を頼りに自由民でありつづけた人を見下し、差別することで、自分達の境遇を正当化し、自分の運命を納得する材料とした。これが近世差別の原点である。いま、これとおなじコトがまた起こっている。「甘えと無責任」の人々が「自立と自己責任」の人々を、いじめたり差別したりする。初等・中等学校で、学業やスポーツ、芸術などに飛びぬけた才能を持っている生徒・児童がいじめられたり、クリエーターを「別の世界に住む人」とアウトサイダー視する傾向は、この数年強まっている。

これは、産業社会・近代パラダイムの崩壊により、居場所のなくなった「甘えと無責任」の人々が、数を頼りに敵愾心を燃やしている姿に他ならない。しかし、いまやかつてのように生産に人間の頭数が必要な時代ではなくなった。いくら人数が多いからといって、数にモノをいわせられる時代ではないのだ。だから、いままでのように無才な多数が有能な少数を「村八分」にしていればハッピー・エンドというワケにはいかない。自分と違う「能ある」ものをアウトサーダー視するのは自由だが、だからといって今までのようにそれで丸く収まる時代ではない。しっぺ返しは、必ずや、奢った無才の輩にくることを覚えておくべきだ。


(01/01/26)

(c)2001 FUJII Yoshihiko


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