企業家精神とリーダーシップ
かつてバブル経済の頃、エクセレントカンパニー30年説というものが流行した。奢れるものは久しからず、という一種の警鐘であった。その甲斐あってかなくてか、バブルの絶頂期も久しからずして崩壊してしまった。それはさておき、ひとことで企業と呼ばれる組織集団の中にも、いろいろな紆余曲折に流されることなく、常に活力を持ちつづけている会社と、一時的には時代の寵児ともてはやされても、一発屋で消えてしまう会社とがある。この両者には、歴然とした構造の違いがある。それは、自己変革に耐える勇気と体力をもっているかどうか、新しいフロンティアを創り出すパワーがあるかどうかである。
これはまた、企業人の二つの類型とも密接な関連がある。ヒトが企業に入る理由、それには、大きくわけて二つのモチベーションがある。ひとつは、企業という組織にすがって生きてゆこうという人間。これは、甘えて無責任なタイプと共通する人間類型だ。彼らは、つつがなく企業生活を勤めることを至上の目標としている。もうひとつは、企業の持つ組織や経営リソースを利用して一旗あげてやろうという人間。これは、自立して自己責任を果たす大部に多い。彼らは、企業人となったからには、トップに立って天下を取るコトを目標としている。
シュンペーターの「企業家精神」を持つからこそ、「鶏頭となるとも牛後となるな」という活き方になる。このように「企業家精神」と「リーダーシップ」は表裏一体のものだ。トップに立ち、リーダーシップを取る人間がいてはじめて、企業という組織に活力が注入される。組織人間とは、根本的に発想やモチベーションが違う組織人間がいくらいても、企業は自律的に動かない。マーケットが伸びている間は、人マネをしていれば、組織人間だけの集団でもそれなりに動いてしまうことがある。これはそっちの方がラッキーなだけだ。決して長続きするものではない。
これは、各個人の企業内での行動様式とも関わってくる。自分が企業内でどういうロールモデルを取るかは、この企業家精神のありかたによる。「上の人間」とおなじコトをしていたのでは、ついては行けるかもしれないが、「上の人間」は決して超えられない。これではトップに立つことはできない。「上の人間」が死んだり、失脚したりで、タナボタで地位が転がり込むことも皆無ではないが、これは長続きしない。こういうロールモデルを取るということは、即、トップ狙いではないということになる。どこかの時点で、「自分でなくてはできないワザ」を出し、チャージをかけてはじめてトップに立てるのだ。
スリップストリーム走行よろしく、上司をウマく風除けに使って、省エネに徹するなら、それはそれで作戦だ。コバンザメ戦法も、戦術としては意味がないことではないだろう。しかし、それなら節約したエネルギーを活かし、どこかでスパートをかけて自分がトップに立たなくては意味がない。あくまでも、上の人間といえども、自分がトップに駆け上るための道具として利用する。そのぐらいの戦略が必要だし、それには、ベンチャービジネスを起ち上げ、軌道に載せるのと同じような「企業家精神」がもとめられるのだ。
このように「企業家精神」は、実際シュンペーター自身も晩年に述べているように、大企業人の中にも生きている。よく言えば企業家精神のある、悪く言えばヤマっ気のある人間がいるかこそら、企業は活性化し、明日の活力を得る。これは大企業といえども同じだ。ただ巨体なだけで、波に流されるままの氷山では、企業は立ち行かない。その中で、戦略的に舵をとるリーダーがいるからこそ、組織が動いてゆくのだ。そしてこのような人間がいるからこそ、環境が変化し、今打っている手だけでは立ち行かなくなったときのブレークスルーをもたらすことができる。企業家精神を持った人材がいるからこそ、その企業の次のフェーズが準備される。
このように、アクティブな人材がその企業に集まるかどうかが、その企業の活力を決める。しかし、アクティブな人間が集まる企業か、パッシブな人間が集まる企業かは、アプリオリに決まっている。それこそが「企業風土」なのだ。パッシブな人間がもっともあつまりやすいところ、それは「親方日の丸」の官庁だろうしかし、私企業でも、既得権益に守られた規制業種、許認可業種は、こういう人間が多い。同類相憐れむではないが、大蔵省と金融機関が持ちつ持たれつで、MOF担の風俗接待を繰り返す図など、この典型的な例だろう。一方ソニーやトヨタがグローバル企業になった理由も、その創立者のもっていた「技術ベンチャースピリット」が、潜在的にでも脈々とDNAの中に生き続けて来たからだ。
活力を持った人間が、企業を活性化する。この法則は今にはじまったことではない。それは、企業の歴史とともにある。その切実度が変わっただけのことだ。高度成長期の企業は、多くの人材を抱えて置ける余裕があった。奇価置くべし、とばかりに、スケールメリットを生かして多彩な人材を集められた1人の才能を得るために、100人飼い殺しにする余裕さえあった。飼い殺しの人材にもあてがえ得るような、定型的な作業もたくさんあった。結果として、これが連続的な成長を生む源泉になった。
しかし、安定成長期になって、そういう力技が発揮できなくなった。使える奇価だけを選りすぐって抱えるしかない。その意味では、いまや既存の大企業も、ベンチャービジネスも、何ら変わるところがない。そこでリーダーシップを取る人間の資質、それは「企業家精神」の一点にかかっている。大企業なら、そういう資質のある人間を数多く抱えることができる。これが、21世紀型の人材のスケールメリットといえるだろう。優秀な人間が相互に刺激し合い、競争原理を組織内で実現することで、単発的なベンチャーでは得られないケミストリを実現する。実は、これが企業組織のダイナミズムの原点。だからこそ、コレに成功した企業、組織だけが、これからの時代にも生き残り、成長することができるのだ。
(01/02/02)
(c)2001 FUJII Yoshihiko
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