教科書問題に思う






またぞろ教科書問題がもめている。ぼくの歴史認識は、かならずしも「新しい歴史教科書をつくる会」の認識と一致するものではないし、違う部分のほうが多いかもしれない。しかし、そういう歴史認識に立った教科書はあってもいいし、いろいろ幅広い視点に立つ多様な教科書があった方が良いと思っている。そういう意味では、「つくる会」の活動はいいことだと思うし、心情的に支援しているというのが正しい。こと教育の問題に関しては、悪平等や画一性こそが責められるべきであり、教育を「与える」発想こそがいましめるべきなのだ。それを打ち破る動きには、それがどんな立場からのものであっても、惜しみなく賛辞を送る。

人の良心というのは一つではないし、一つに決められるものではない。百人いれば、百様の「良心」がある。その違いを知り、互いの良心を尊重できるようになってはじめて、社会は成り立つ。あくまでも多様な選択肢を用意し、その中から教育を受ける側が、自分の良心、信念にあった価値観を選べるようになってはじめて、教育問題は解決する。文部科学省にしろ、日教組にしろ、画一教育を支持する人々は、自由に競争原理が働いては、自分達を支持する人は誰もいなくなることを、本能的によく知っている。だからこそ、こういう「教育の社会化」になにより反対するのだ。

そういう意味では、教科書問題の本質は、検定を行う内容やイデオローグが右か左かということではない。ましてや、諸外国が何を言うかということでもない。教育の一つの象徴である「教科書」に対して、多様性を認めるかどうかという問題なのだ。多様性を重視する立場からは、検定が多様性を否定し、画一性を担保するものである限り、その検定意見の内容に関わらず、認めることができない。その一方で、画一性を求め利権化している人々は、自分のよりどころとしての「検定意見」がどちらを向いているかを気にする。この違いを見抜くことが、今求められている。

前から主張しているが、「やった・やらない」の一元論で行く限りは、同じ穴のムジナである。そういう意味では皇国史観と自虐史観は、同根の内ゲバでしかない。虐殺が「あったか・なかったか」、戦争が「聖戦か・侵略か」。これは同じ軸にのっかって、基準点をどちら側から見るかという違いでしかない。これでは議論が形式論になってしまい、実質に対する認識を深めることができない。そういう一元論の対立より、いろいろな歴史観・価値観のあることを認め合い、どうしてそれぞれの視点が出来上がっているのかを知ることが大事なのだ。

たとえば「侵略」議論一つをとっても、そもそもぼくにいわせれば、古今東西、戦争というものは多かれ少なかれ「侵略」なのであり、戦争をするという決断をした以上、それが侵略をともなうのは当り前ということになる。だから、侵略か侵略でないか、侵略がいいか悪いか、などという議論は、そもそも意味をなさない。殺すか殺されるかなのだから、先手を打って殺すしかないのが戦争だ。問題があるとすれば、それは戦争をするという決断の妥当性や責任の部分に求めるべきだ。事実は事実として受け止め、責任を取るべきところは取る。その上で主張すべきことは主張する。この程度の自己責任がとれないようでは、「国際人」とはいえない。

歴史を見れば、それがABCD包囲陣なる「国際的イジメ」が直接的きっかけになったのは間違いない。イジメられてキれてしまったのが、大日本帝国だ。だから直接の原因という意味では、その責任は米英をはじめとする連合国側の脅しに求められるだろう。しかし、イジメられてキれる子供が、その家庭・生活等に構造的問題があるように、それ以前のプロセスにも原因がある。大正期以降の国際政治において、日本の政治リーダーがきちんとしたヴィジョンを持ち、毅然とした政策を取っていれば、イジメの対象にはならないからだ。

こう分析してゆけば、これも行き着くところ、二重の意味で「顕教徒対密教徒」の問題であることがわかる。結局20世紀の日本の歴史は、「顕教徒による密教征伐」の結果なのであり、全ての問題は、当事者能力のない「顕教徒」が、権力を握ってしまったことにある。歴史の事実として現れてきた問題は、権力の座にあった「顕教徒」による無責任な判断の慣れの果てということだ。そして、今も大勢生き残っている顕教徒は、元来の「甘え・無責任」な体質から、自分達に責任をおよぶのを何よりも恐れ、過去の歴史に対する全否定により免罪符を求めようとしている。この問題がいつまでも曖昧なまま、同じようにくりかえされるのは、無責任な顕教徒たちが今も権力を持ちつづけているからに他ならない。

人間の生きかたはそれこそ多様だし、自己責任において選択するなら何でもありだ。そういう意味では、無責任に生きるのも、その結果に対して甘んじるのであれば許されないわけではない。しかし、その無責任さで生じた弊害を、自己責任において生きている人にも背負わせようとされたのではたまらない。ここが、「一緒に渡れば恐くない」顕教徒達の面目躍如たる点だろう。世の中は、下支えでお尻を押してあげる時代ではない。意識のある人達だけが、「この指とまれ」で集まって、どんどん突っ走る時代だ。そういう意味では、早く「密教徒の日本」を創り上げることこそが問われている。

(01/03/09)

(c)2001 FUJII Yoshihiko


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