攻撃こそ最大の防御






昨今のような混迷の時代には、今後に向かって何を捨て、何を守ってゆくかという判断が重要になる。自分が守るべきものは何か。それがわかっているかどうかが、生き残りのかぎになる。守るべきものはハードなのかソフトかなのか。ハードは、外面で具体的なカタチになったもの。目に見えるもの。ソフトは、内面にある自分の知恵、心。目に見えないもの。人間、ともすると「今の自分」を大事にしすぎるキライがある。だからこそ、多くの場合ハードを守る方向に向きがちだ。だが果たして、それでいいのだろうか。

現実のカタチになったものは、そのバックに必ずソフトというか、それを生み出した知恵がある。ハードの裏には、必ずそれを生み出した知恵としてのソフトがある。だから、より大事なのは、ハードではなく、ソフトということになる。知恵さえあれば、カタチあるものを全てを失っても再建が可能だ。だから自分に「創り出す力」があれば、現実の全てを失っても恐くない。その逆に、「創り出す力」がないヒトほど、現状にしがみつこうとする。だからハードを守る。ハードとソフトの関係は、タマゴとニワトリではない。原因と結果の関係は、余りに明白だ。

ソフトが大切。今までも実はそうだった。それはヒトでも、国でも、組織でもおなじコト。右肩上がりの波に乗っただけという「結果オーライ」ではなく、自分の力で成功を勝ち取ったヒトなら、それが自分の持つ「ソフト」によりもたらされたものであることは充分に理解しているはずだ。逆に、そうでなく、他力本願で偶然の成功の「おすそ分け」を得たヒトは、いつまで経ってもそれを理解できず、目先のカタチを大事にし、それにとらわれてしまう。ここをはきちがえているヒトがな、なんと多いことか。これは、企業組織の成功と「企業家精神」の関係を考えるとはっきりする。

その企業が、どんな優れた生産設備を持ち、どんな優れた経営資源を抱えていたとしても、マインドのない経営者を頂いてしまった会社は、波が去ると共に潰れてしまうほかはない。当面の繁栄はキープできたるかもしれない。しかし、その繁栄が永遠に続くものではありえない。かつて流行った「企業の寿命」理論は、これを現象的に捉えたものといえる。企業、あるいはその構成要素としての事業は、あたかも体を構成する細胞が新陳代謝するように、常にスクラップ・アンド・ビルドされ、リフレッシュされなくては永続しないのだ。

逆に企業家精神にあふれた経営者がいれば、現在ある経営リソースを全て失ったとしても、再び資金調達からはじめて、ゼロからの成功を得ることができる。ベンチャー的な創業者が起こした企業が、存亡の危機を何度もくりかえし、それをかろうじて乗り切った、と言うような伝説はよくある。そもそも、何もないところから全てを築き、成功を勝ち取ったのだから、現在の手駒を失うことはそれほど恐れない。成功の方程式を解く自信があるからだ。火事や地震で生産設備や在庫を全て失っても、そういう企業は不死鳥のようによみがえることができる。

だからマインドさえあれば、過去の成功を具現化している「カタチ」を捨てても、いくらでも次の新たな成功を導くことが可能だ。ある意味で、尽きないアイディアと、この自らの創造力への自信を掛け合わせたものが「企業家精神」と呼べるのかもしれない。それだけに、今成功していても、将来の展望がないものを、その絶頂期にあっさり切り捨てることもできる。そして次の可能性にかけることで、結果的により大きな成功を勝ち取れる。これは、あくまでも企業経営の例だが、それをもたらしたマインドは、あらゆる場面で価値がある。

人間、守るべきものはその内面。家や財産といった、すでに作り上げてしまった過去の実績の成果ではない。過去の実績を守って得られるものよりも、これからの可能性の方が常に大きくてはじめて、クリエーティブな生きかたといえる。そのためには、アグレッシブに攻め、自分の持っているリソースが陳腐化する前に、自己変革を成し遂げるのが一番だ。カギとなるのは、自己変革の勇気。今の自分がアウト・オブ・デイトになる前に、自分から自己否定し、次のフェイズに自ら進む勇気だ。

これからは、知恵の時代。具体化したリソースは、それがどんなものでも有限であり、寿命がある。しかし、アイディアが湧くヒトにとっては、アイディアは無限であり、その可能性は自分が生きている限り果てがない。その無限さを解放するコトがなにより大切なのだ。目先の現実にしがみつこうとしたとき瞬間から、可能性は消えてしまう。肉を切らせて、骨を切る。得るために失うことを恐れるな。攻撃は最大の防御だ。それも、過去・現在の自分に対する攻撃だ。率先して自分の守りの姿勢そのものを攻撃すること。それが、自分の本当の価値や本質を守り、未来の成功を担保することになる。

(01/03/16)

(c)2001 FUJII Yoshihiko


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