企業とは何か






最近のビジネス関連の議論を聞いていると、何をもって「企業」の本質とみなすかという、いわば定義のブレが特に気になる。グローバル・スタンダードからすれば、企業とは「資本と企業ブランド」そのものであり、企業に所属している社員や、企業の保有する資産ではありえない。しかし、日本では独自の論理、特に「企業とは、社員たる人間の集団である」とでも言うような見方が、いまだに横行している感がある。これでは、世界に通じる企業となることはもちろん、今求められているリストラクチャリングのための改革すらおぼつかない。

企業として「雇用を守る」という時の「雇用」が何を意味するかについても、おなじコトが言える。今グループ社員が5万人いるメーカーが、グループでの「5万人規模の雇用を守る」ことを戦略としたからといって、何も、いまグループ社員として雇用されている「特定の」5万人を、今後も雇用するという意味ではないはずだ。社会的責任として、5万人規模の雇用ニーズは維持しつづけるとしても、時代とともに業態が変化せざるを得ない以上、どういう質の5万人が必要とされるのかは当然時代によって変わってくる。今雇用されている社員のうちのあるパーセンテージは、5年後も社員でいるとは思うが、それは当人が時代の変化についていけたから、結果的に残れたというだけのことだ。

社員数は5万人で変わらないとしても、個々人の顔ぶれということでいえば、当然新陳代謝は必要だ。いや、新陳代謝させて企業としての活性度を保つからこそ、一定の総社員数をキープすることができるといったほうがいいだろう。場合によっては、劇的な業態転換が必要で、5万人のほとんどが入れかわってしまったが、結果としての雇用規模はキープしているということもあるかもしれない。それでも、5万人規模の雇用を支えられるだけの事業規模を維持しつづけるということは、極めて周到な戦略とリーダーシップが必要となることが言うまでもない。企業が続かない限り、雇用規模のキープも夢のまた夢となってしまうからだ。

この歪みには、どうやら歴史的なバックグラウンドがありそうだ。もともと江戸時代には、後の財閥につながる商家に代表される、それなりに近代的経済合理性を持った、「家」という経済組織があった。明治期になって、そこに欧米の19世紀的な資本の論理、会社の論理が持ち込まれた。この両者は、実はそれほどかけ離れたものではなかったため、文明開化から急速な近代化を目指した明治・大正期においては、比較的グローバルスタンダードに近い企業観があった。それがおかしくなりだしたのは、市民たりえない庶民が、大衆社会を形成しだしてからだ。大正デモクラシーから軍部の独走、敗戦にいたる時期は、エリート市民ではなく、軍部に代表される「大衆の代表」による権力の掌握が行われた。

ある種、大衆は皆平等という発想が、このメカニズムの基本にある。だからこの時期は、悪平等に基づく「社会主義的」な政策や権力構造が特色となっている。戦後につながる利権・許認可構造の官僚機構、終身雇用、年功序列の企業システム、中央集権のばら撒き行政、今問題になっている「日本の構造的欠陥」のルーツをたどると、すべて戦時下の経済統制のために行われた政策に行き着くことがわかる。戦時統制のための官僚独裁型の機構を、戦後GHQが統治のためにそのまま利用したことで、完璧に温存され、サンフランシスコ条約以降も、自己目的的にその存在を強化していった。

どんな組織でも、社会の一部分である以上、社会の他の部分とのインタラクションの中でしか存在し得ないはずだ。しかし、戦後の企業の多くは、このような事情から、市場原理的なルールに基づくオープンで社会的な組織ではなく、独善的でクローズドな社会主義的組織としての特性を持っていた。ここでは、企業は社員のものであり、その価値観は極めて自分勝手で独善的なものとならざるを得ない。本来ならこんな企業は成り立つはずがない。しかし、類まれな高度成長という、船をも空を飛びそうな強力な追い風により、そういう企業でも、それなりに成り立ってしまったところに不幸があった。

そう考えてゆけば、最近問題になっている企業の反社会的な行動や利己的な行動も、必然的に起こるべくして起こるものであったことがわかる。トップが引き起こす不祥事の数々も、社会では不祥事だが、社内の内輪の論理では何ら問題がなかったという意味では、同じ根っこを持っている。今や歴史となった20世紀を見れば、社会主義国の組織や官僚制度が、独善的に孤立し、競争原理や牽制がきかないからこそ、腐敗し機能しなくなった事実にはあふれるほど出会うことができる。実は、日本の組織が抱えている問題も、全く同じ構造を持つ問題なのだ。

こんなユガんだ組織とは、もうおさらばしたいものだ。本来なら、市場原理、競争原理に基づき、常に切磋琢磨し質的な効率化を追求していかなくては生きていけないのが企業なのだ。企業は社員のためのものではない。社員は、あくまでも企業がその目標を追求してゆくためにある存在だ。必要なときには、必要なリソースを組み込み、目的を達成する。これが理想形だ。その弾力性を担保するためにも、リソースの需給関係は、常に社会やマーケットに対してオープンでなくてはいけない。

プリコージンの開放系における平衡ではないが、企業の活力とは、全てにオープンな系としての企業体が、一定の状態を保つためのネグエントロピーということができる。系として閉じた瞬間に、企業は生きた企業ではなく、死んだ企業の標本になってしまう。寄らば大樹の陰で、企業にぶるさがっていきようとすることは自由だが、それで喰いっぷちのおこぼれに預かれる時代は終っている。企業は企業、自分は自分。その関係性を醒めた目でみつめることが、今あらためて求められているのではないか。


(01/04/06)

(c)2001 FUJII Yoshihiko


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