小泉内閣の役割





東京都議会議員の選挙を経て、参議院選挙が射程に入ってきた今となっても、小泉内閣の支持率は相変わらず高い。それだけでなく、マスコミネタの話題としても、まだまだ人気を誇っている。少なくとも、本気で改革を目指すことを公約し、「小さい政府」を実現しようと主張している首相ヘの指示が高いということは、長い目で考えると悪いことであるはずはない。現状においては、ぼくのオピニオンとしても、小泉首相の次の一手を見守っている。すなわち基本的には支持しているということだ。しかしそれは、あらゆる面で小泉内閣や自民党の政策が常に正しいから支持しているというワケではない。

やはり議論の根幹は、大きい政府か、小さい政府かということになる。第二次世界大戦以来の半世紀以上、日本は「大きい政府」「過剰にコミットする政府」でありつづけた。今まではそれでみんなハッピーだったかもしれないが、それは高度成長だからこそなせたまやかしだ。これを変える必要がある。だから黒猫白猫論ではないが、いままでの「悪平等主義の日本」、「甘え・無責任に基づく共産主義の日本」を改革をしてくれるのなら、それがどこの誰でもかまわない。外圧でもかまわないし、もちろん国内の勢力でもかまわない。かつてのイデオロギーの時代にどういう立場に立っていようとかまわない。大事なのは、改革を実行することなのだ。

ここで大事なのは、どんなカリスマやスーパーヒーローが登場したとしても、改革は一人でできるわけではないという点だ。なんせ相手は、数だけは圧倒的に多い「守旧派」。どんなにヒーローが強くても、「数の武器」だけはどうにもしようがない。古今東西の戦争を見ても、集団で行う限り闘いとはそういうものだ。個々の武力の「質」もさることながら、とてつもない「量」にどう対抗してゆくかが勝敗を決める。そして、戦略が最も要求されるところも、この「数」の攻撃をどう撃破するかだ。これには、役割分担とフォーメーションプレイしかない。

まず道を切り開く、機動力と臨機応変な対応が可能な突撃隊がいる。最初から主力部隊を投入しても損耗が激しくなるだけだ。突撃隊には、突破力が求められる。しかしそれは破壊力というよりも、敵に隙を作らせやすいことも求められる能力ということができる。橋頭堡が築けたり、風穴が空けられたりすれば、その後は敵を殲滅する、最も強力な主力部隊の登場だ。いつの時代も、主力部隊が雌雄を決する主役となるのは言うまでもない。さて、敵の武力を殲滅した後、敵陣を占領し、新しい秩序を作り出す部隊も必要だ。何も考えずに責めてゆけば、勝って思い通りの展開になるということはありえない。それには勝ってから対応がかぎとなるし、だからこそ戦略が必要だ。

もともと日本人は、こういう軍事力内部での役割分担をウマくつるくことが極めて下手だ。要は、ほっておいたらフォーメーションプレイができないということだ。強い選手がいても、日本のチームがスポーツで勝てないのも、この理由が大きいだろう。特に戦略的に指揮することにおいては、極めて人材が乏しいし、その上、本当に指揮能力の高い人材を統率すべきポジションにつけるという見識にも著しく欠けている。それに加えて、戦いに勝ってから戦略的に秩序を創り上げることは、ほとんど「闘い」の要素として考えていない。これでは戦いに勝った後でやることといったら、略奪や虐殺といった「侵略行為」以外思い浮かばなくとも仕方ない。

第二次世界大戦の太平洋戦線を日本軍と米軍を見ていると、この面でのあまりの違いがくっきりする。アメリカは、こういう機能分担、システマティックな役割分担が最も得意な国。その一方で、日本は機能が渾然一体として、責任や権限が曖昧なままにしておくのが好きな国だ。これでは、展開ははっきりしてしまう。敵ながら天晴れというか、最終的に日本が勝てるわけがない。個々の戦闘レベルでは、どちらが勝つこともあるだろうが、個別の戦闘で勝った後、それをどう戦略につなげてゆくかが、日本人の集団にはないからだ。

自民党は、極めて日本的な集団であり、戦略目標というものがない。だから、組織としてどう動くかと言うポリシーはない。自民党の議員の中には、共産主義的な所得再配分政策である「公共事業と補助金による大きい政府」を目指している人が多いことは確かだが、だからといって、それが即、組織目標になるワケではない。それこそ、名前に「自由」とあるんだから、ポスト産業社会の21世紀においては最も正しく、最適化された政策である、自由主義、新保守主義をとりうる可能性もある。だからこそ、当面小泉内閣のやることを見守って支持しているということになる。

しかし、小泉首相は改革の先陣を切る突撃部隊にはなっても、主力部隊にはなりえないことも忘れてはならない。既存の秩序をひっくり返すために、まず風穴をあける。これは、極めてリスキーだが、同時に戦略上極めて重要な役割だ。だが、それ自体が最終的な解決をもたらすものではないことも事実だ。日本人は、ムードに弱い。熱しやすく、醒めやすい。ここを冷静にみつめられるかどうかが、小泉内閣への支持を、単なるブームに終らせないカギとなる。要は、これをきっかけに、本当の政界再編ができるかどうかがカギなのだ。

冷戦構造を脱し、大きい政府と小さい政府、甘え・無責任と自立・自己責任、市場原理と共産主義、いいかたは何でもいいが、今まで日本がやってきた政策でなく、世界の中の日本として責任がとれる体制を作ろうという気風が起こってきただけでもめっけモノだ。まず風穴があいたら、それから新しい秩序を建設する。だがこれは簡単ではない。それが確立し、仕組みとして出来上がるまでにはそれなりの時間と労力がかかる。小泉首相が演説しただけでは完結しないのだ。それまで待てるのかどうか、それが問題だろう。本当の意味での改革への支持は、次に出てくるべき「建設する」勢力の登場まで、本当に待つことができるかどうかにかかっている。

(01/07/06)

(c)2001 FUJII Yoshihiko


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