大衆にヤキを入れろ






参議院選挙の連呼が、タダでさえ暑い気温をますます暑苦しくしている今日この頃だが、その中でも腹立たしいのは、表向きのみ改革支持のような顔をしている族議員である。彼らは、先ごろ発動されたセーフガードのような、利権保護に関しては人一倍熱心である。しかし考えてみれば、そこでばら撒いている補助金は税金だし、セーフガードへの制裁処置が取られれば、本来利益を得るべき層が不利益をこうむることになる。彼らのやっていることは、他人から利益を引っぺがしてきてばら撒く、それだけのことである。そういう意味では、悪平等の権化。彼らが国富に与えているデメリットには大きなものがある。そういう利益代表の族議員も、その利権の恩恵にあずかる人達も、みんなまとめて国を喰いモノにする非国民だ。

そもそもセーフガードを発動する対象は、自分が経営努力せず漫然とやってきたため、競争力を持たない産業分野である。市場でレッドカードを切られた「負け組」だ。人件費の高さも、土地の高さも、そんなものは言い訳にしか過ぎない。そういう環境の中でも、きちんと競争力を持ち、高品質・高付加価値製品で、高収益体質を築いている人達はいるのだ。そんな自助努力を怠った連中に対し、何で税金を投入して保護しなくてはいけないのか。国際的に見ても、もっと競争優位の分野にそのリソースを投入した方が、ずっと国富の向上につながるし、結果的に安全保障上のメリットさえもたらすのだ。

しかし、考えてみれば日本には、こういう「寄らば大樹を喰いモノにする発想」しか持っていない連中のなんと多いことか。それは農林族とか地方とかに限ったものではない。都市部にだってたくさんいる。その典型は、会社を喰いモノにしている社員だろう。なぜか日本には、「居心地のいい会社」という、就職の選択基準がある。これは、企業の存在目的と矛盾している。努力の結果居心地がいいのならいざ知らず、アプリオリに居心地のよい居場所が、そもそも企業の中にあるワケがない。企業は社員のための福利厚生機関ではないのだ。だが、みんなで渡れば恐くないとばかりに、トップから新入社員まで、企業を「居心地のいい福利厚生施設」にしてしまっているところがなんと多いことか。これが日本的経営なら、そんなものは早くなくすべきだ。

こうやって見てゆくと、日本の組織のほとんどが、当事者性のない「組織」に責任をおっかぶせることにより、構成員により喰いモノにされている。合目的性などどこにもない。これを共産主義と呼ばずして、なんと呼ぼうか。かつてはこれでも利益が出ていたのだから恐ろしい。まさに、高度成長と低賃金の賜物である。そんな甘い話は、例外中の例外だ。しかし、それしか体験を持たないヒトにとっては、「世の中とはそういうもの」になってしまう。これで勘違いをしているのが、今の日本の実態だ。こんなものは「成功体験」でもなんでもない。単に「運が良かった」だけのことでしかない。しかし、人々は一旦吸った甘い汁の味は忘れられない。ここに今の日本の悲劇がある。

こういう環境にひたりきっているのが、日本の大衆だ。かくして日本の大衆の行動原理は、「甘え・無責任」ということになる。人が見ていなければ、ズルすること、楽すること、ゴマかすことしか考えない。これが、日本の大衆の本質。道徳心も向上心もない、最低の連中だ。日本人が勤勉というのは、真赤な嘘だ。日本人の中にも、崇高な精神を持ったハイブロウなヒトもいないわけではない。だがそれは一部の高貴な人でしかない。多数の大衆は全然違うのだ。確かに高度成長期には一見勤勉に見えたかもしれない。しかしそれは、「貧しかったので、勤勉にせざるをえなかった」だけのことだ。買い被ってはいけない。

とにかく日本の大衆は、悪循環、無責任で、他人任せ、自分中心。これを前提としてモノを考える必要がある。そういう連中が、高度成長からバブル経済と、30年にわたって懐だけは豊かになり、安定した生活が送れるようになったのだから手におえない。ネコにマタタビ、何とかに刃物である。自己責任とは、この悪循環を断つことだ。人が見ていないところで、自分の都合のいいように「お手盛り」をする発想も、自己責任が貫徹すれば通用しなくなる。自立・自己責任は、身を清くすることにもつながる。誰かに決めてもらうという発想をしている限り何も変わらない。自ら決められるひとが世の中に増えてくればおのずと社会は変わる。

このためには、とにかく大衆の精神を鍛えなおす必要がある。ヤキを入れてやれ。痛い目に遭わなくては、自分から直すはずがない。とはいうものの、例の「密教徒対顕教徒」の議論ではないが、一対一でヤキ入れるには、余りに多勢に無勢。これでは、先送りと粘り越しの「数の力」で押し切られてしまう。こういうときは、夷をもって夷を制すことが必要。となれば、当面必要なのは、相互監視の仕組みを作ることだろう。これまたあまりに他者依存といえばそれまでだが、大衆に向上心がない以上、自主的な改善は期待できないから仕方がない。それに日本の大衆が一番弱いのはこれだ。周囲の目。それが光っていてはじめて自制心が効く。日本が変わるまでは臥薪嘗胆。ぬけがけで楽したヤツは密告だ。そのぐらいやってはじめて、少しは変わる。そのぐらいこの国は重症だよ。全く。


(01/07/20)

(c)2001 FUJII Yoshihiko


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる