コア・コンピタンスと水平統合







「選択と集中」がビジネス界のキーワードとなって久しい。「勝ち組・負け組」同様、ビジネスや資金調達のグローバル化が進む中で、この数年ですっかりおなじみになった言葉だ。経済新聞を見ても、ビジネス誌を見ても、はたまた、週末に多い政治・経済ネタを集めた、テレビの男性向けワイドショーを見ても、いつでもお題目のように唱えられる言葉となった。しかし、まだその真意を理解していない、あるいは誤解しているビジネスマン、経営者が多いのも実情だ。というより、この言葉の持つ真の意味と、表面的に捉えられている意味とのズレが、日本における構造改革の遅れを象徴しているということができる。

多くの場合、「選択と集中」が語られるのは、製品群やサービス群の選択と集中という文脈である。業界内で競争力を持つ付加価値がある製品と、価格破壊による価格競争でしか売れない競争力のない製品を峻別し、前者にリソースを集中しようという戦略である。たしかにこれはこれで、今までの日本企業に特有の、「社内に余ったリソースがあるから、競争力がない商品でも出さざるを得ない」戦略や、「競合社がラインナップに持っているから、対抗上売れる見込みがなくても出さざるを得ない」という、後ろ向きの商品戦略からすれば一歩前進かもしれない。

だがこの考えかたは、ベースになっているのが古いビジネスモデルのままだ。製品やサービスの選択と集中は、昨今グローバルに問われている「リソース投下の選択と集中」とは次元が異なる。本来の意味の「選択と集中」とは、バリューチェーンの中でのコンピタンスの選択と集中である。川上から川下まで持ったままでは、いくら強みのある製品やサービスに特化したところで競争力は生まれない。古い垂直統合型のビジネスモデルからの脱皮、リソースの自前主義からの脱皮をしてはじめて、構造改革を成し遂げられるということなのだ。

まさに、自分の企業は何者か、自分の企業の強みはどこのなのか、これを徹底的に極めた上で、強みを持つコアコンピタンスだけに機能特化する。これが求められているのである。大胆に強みのある機能だけを自社で持ち、あとは徹底的にアウトソーシングやIT化で対応する。日本の企業で、ここまできちんと「選択と集中」の課題をとらえ、積極的に対応を図っているところはまだそう多くない。モノ作りへのこだわりすぎのせいか、ヒューマンリソースの入れ替えを忌避するせいか、機能にメスを入れる経営判断には億劫になりがちだ。

だが、バリューチェーンに沿った垂直統合のビジネスモデルを持っている限り、本質的に経営の効率化は図れない。どんな手を打ってみたところで、あくまでも対症療法でしかない。それは、あくまでも旧来のビジネス構造は温存したまま、製品ラインナップ面でのメリハリで対応しようとするものだからだ。現有のリソースの中でも、大胆に捨てる部分、社外と事業交換する部分がなくては、改革にはならない。それを行なってこそ、体質を変え、より機能的、効率的な経営を可能にする。

真の「選択と集中」とは、バリューチェーンの中で、強みのある部分のみにリソースを集中し、その領域での水平統合を図ることである。デバイスならデバイス、最終製品の製造なら製造、マーケティングならマーケティング。経営的に見れば、どこか一つだけ、圧倒的に強い領域があればそれでいい。もちろん、圧倒的に強い領域を持つことを前提に、その領域との関連において、効率面で問題がないのなら、バリューチェーン上でつながる川上や川下へもリソースを投下することは有り得る。だが、それも「圧倒的に強い領域」を持っているからこそ可能になる。

ある領域で圧倒的な強みを持つもの同士が連携し、バリューチェーン全体を組み上げるのが、ひところ流行ったWin-Winアライアンスの本質だ。自分がその領域での最高のプロフェッショナル企業になることではじめて、他の領域で最高の強みを持つプロフェッショナル企業と組める。一番強いところ、一番得意なところをお互いに任せあう最強の関係性が作れる。当然、それぞれの企業で必要とされるリソースも、いままでの自己完結型、垂直統合型の時代とは異なる。「選択と集中」とは構造変革の実践に他ならない。それをしなくては、パラダイムシフトは乗り越えられないのだ。

(01/08/31)

(c)2001 FUJII Yoshihiko


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