世代と時代






ビッグビジネスでなくてはポップスではないしロックではない。音楽=巨大ビジネスという構図でしか捉えられなくなったのはいつからだろうか。もちろん今でも巨大なビジネスではなくとも、地道に自らの地盤を固めている音楽はある。たとえば、そもそもプロとハイアマチュアの区別がない民謡や純邦楽はそうだが、軽音楽系でもそういうジャンルはある。日本においては、メインストリーム・ジャズがそうだし、カントリーやハワイアンもそうである。これらの音楽ジャンルは、かつては一世を風靡した大衆文化だったが、今ではプレイヤーとファンが一体となった「コミュニティー」の中で支えられてる点が特徴となっている。

しかし、ロックはまだそこまで割り切って見てもらえない。「売れないロック」では、存在が否定されてしまう傾向が強い。だがそもそもロックってそういうものなのか。ロックの沸き起こった時期が偶然産業社会の爛熟期となり、メガヒットが登場して大きい金が動いたのは確かだ。しかし、メガヒットでなくてはロックたりえないということはない。こと日本においていうなら、日本ロック史上の銘盤として上がる60年代末〜70年代初めのアルバム、「はっぴいえんど」の一連のアルバムなどは、イニシアルでは数千しか出ていない。それでも特定の人の心の中には強く印象が残っているし、歴史上の存在として語られている。

このような状況は、ロック世代にとって辛いものがある。地価の高騰で、生まれ育った故郷に住まうことができないようなものと言おうか。幸か不幸か、今ではポップミュージックというビジネスモデル自体が限界に達し、ある種の踊り場で足踏みしているかのような状況にある。ここで違うビジネスモデルをロックに導入できれば、この状況に対するブレークスルーを作れるかもしれない。そもそも、あるジャンルの大衆芸能に対して、一種類のビジネスモデルしか成り立ちえないということはない。それどころか、大衆芸能が大衆文化として定着するためには、多様なビジネスモデルをベースに、状況の変化に対応して生き残ることが求められる。

たとえば、劇場用映画のポジショニングなどはいい例かもしれない。もちろん現在でも映画、特にハリウッド映画は、大衆化社会の文化(アメリカ文化)としてのステータスを保ちつづけていることはいうまでもない。しかし、ブロックブッキングに支えられた「番組」として、映画コンテンツの大量供給が行なわれていた時代には、今とは違う社会的存在感があった。具体的年代でいえば、アメリカでは1950年代まで、日本では昭和30年代までというところであろうか。この時代においては、映画が流行のベンチマークだった。だからこそ、銀幕から大スターが生まれ、ファッショントレンドが生まれていた。

ある種の映画マニアにいわせると、この時代こそが映画の黄金時代であり、1970年代以降の「巨大ビジネスとしてのハリウッド映画」は、似て非なるものということにさえなるのだが、それはさておき、テレビの登場・普及と共に、「流行のベンチマーク」としての役割は、映画からテレビへと移っていったことは何人も否定できないだろう。そして、そのような変化に対応した新しい映画のあり方として、事業・プロジェクトとしての大作映画を製作する、新しいビジネスモデルへとハリウッドが移行せざるをえなかったのだ。これに呼応する形で、日常の中の非日常として映画を受け止める世代と、非日常の中の非日常として映画を受け止める世代が生まれることになった。

ここで大事なのは、大衆芸術において文化としての表現形式を残すためには、それが基盤としているビジネスモデルを時代に合わせて変化させつづけなくてはならないということだ。映画の場合には、少なくとも今までは、多くのマンパワーと才能、そして資金と時間を必要とするプロジェクトであったがゆえに、その転換に大いなる時間を要したが、それなりに変化できたからこそ、生き残ることができた。このように一度はパラダイムシフトを経験しているがゆえに、映画という文化の基盤は深くなった。今後、ディジタル技術の進歩による製作コストの減少を考えれば、また違う形での映像表現文化の広がりが生まれる可能性も大きいだろう。

さて、ロックミュージックである。そもそもロックミュージックは3人か4人のメンバーと、安くはないが高くもないレベルの機材があれば(PAや楽器車まで入れて100万でお釣りが来るというのは、表現のインフラとしては安いものだ)簡単に表現環境が整ってしまう。能舞台を作るレベルの話ではない。それが回るだけのビジネスモデルを構築できれば、大衆文化として成立してしまう。決してビッグビジネスにしなくては成り立たないものではない。そもそも、何億もプロモーション費用をかけて、ハイリスク、ハイリターン型モデルにしなくても成り立つのだ。学園祭でもロックコンサートはできる。ここにこそ、バンド表現の原点がある。

今までにも何度か主張していることだが、そろそろロックをビッグビジネスから自由にしてあげようではないか。アルバムの売上は1万枚でいい。ライブはキャパ100のライブハウスでいい。それでも充分にビジネスとして成り立ちうるし、それでこそロックの原点なのではないか。若者に媚びる必要もないし、ロックの原点を知っている世代が、自分達の世代の文化として、等身大で共に呼吸し、感じあえるものであればいい。ジャズやカントリーが、日本においては基本的に特定の世代と結びつくことにより、コミュニティー文化としての名目を保っているように、ロックはぼくらの世代の音楽であればいい。

文化においてもマスのスケールメリットが活きたのは、産業社会のできごと。情報社会にはそれなりの文化のあり方があるはずだ。いつまでもロックにマスでありつづけてもらうことのほうがかわいそうだ。このままマスでありつづけることを求められたら、文化のしてのロックの可能性自体が死んでしまうかもしれない。ロックも長くメジャーでありすぎた。そろそろ時代の音楽から、世代の音楽として生きる道を選ぶときではないか。与えられるものではなく、自分の生きザマに共鳴する音楽を求める人達が、プレイヤーもリスナーも共同で創り上げる文化。そうだ、そろそろ本気で動くべきときが近づいてきた。



(01/11/09)

(c)2001 FUJII Yoshihiko


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