大衆とブランド






大衆を語るときに必ず問題となるのが、「形式」と「心」のどちらが本質かという問題である。それは大衆とは、「心」がわからない分、「形式」にとらわれることでアイデンティティーを見出そうとする人達だからだ。形式をつかまえることが、ステータスになる。これを「教義」という面からとらえると、偶像と精神のどちらを重視するかという問題になる。「形式」を具現化して形にしたものが偶像だからだ。偶像崇拝とは、そういう構造を持つ。わかりやすく言えば、「三種の神器」とか「水戸黄門の印籠」である。自分の内面が変わらなくても、それを手の内に持つだけで、権威があったり、力を持ったりすると思えるモノである。水戸黄門シリーズではおなじみだが、ニセ印籠をもつニセ黄門が成り立つ理由でもある。

実は、この偶像崇拝の問題は、日本人の「甘え・無責任」体質と表裏一体の関係にある。これは、天皇制の問題を考えてみればよくわかる。「形式」か「心」かとい構造は、久野収氏のいわゆる「密教徒対顕教徒」の構造そのものである。もう一度復習すると、「密教徒」すなわち明治のエリートは、天皇制を絶対権威の形式ではなく、天皇陛下も含め、自らを律し高めていくことではじめて権威が生まれるダイナミックなシステムとしてとらえていた。まさに天皇制はその「形式」ではなく、その「心」、それを支える「精神」に本質があるということになる。しかし、「顕教徒」すなわち近代化とともに現れる大衆は、天皇制をスタティックな権威システムととらえ、それにぶる下がることで、自分も権力の一端として、その権威を傘に着れるものとして利用しようとした。

「顕教徒」において天皇制は「形式」として絶対化され、「甘え・無責任」を押し付けられ、吸収できる巨大な「大樹」となった。大衆にとって、こんなに甘くておいしいものはない。となると、あとは数の問題で流されてしまう。当然のことだが、形式を押さえた人が正義なのではない。元来、その人が本質を極められたかどうかが正義であるはずだ。しかし、大衆とは本質を極める能力に欠ける人達である。したがって、それに変わる形式としての「偶像」を必要とする。大衆化の過程においては、必ずこの「偶像」をどうするかが問題になる。宗教改革は、これを問題にするプロセスだった。キリスト教におけるプロテスタントとカトリックの歴史的関係をみれば、この意味がよくわかるだろう。

もちろん、日本の宗教史においても同じような構造がみられる。たとえば親鸞上人の教えである「他力本願」は、元来キリスト教で言う「予定説」に近い、「現世で与えられた運命に最善の努力をするのが、精進の道につながる」教えだった。しかしその後の大衆宗教化と共に、文字通り「寄らば大樹の陰で、すがれば助けてもらえる」意味に変形してしまった。これはある種、阿弥陀様という「偶像崇拝」を持っていたがゆえの、必然的な「大衆化」のプロセスだろう。戦前の天皇制の堕落と、全く同じプロセスである。その点、日蓮上人は民衆の持つ「大衆的」な本質を見ぬき、偶像崇拝をカットし、具体的な精進の対象を教義として示した慧眼さを持っている。このあたり、鎌倉時代に新しい民衆が、どこまで自己アイデンティティーを明確にしたかとあわせて、その違いを読み直す必要があるだろう。

一方振り返ってみると、ブランド志向もまさに同じ構造を持っている。日本において、異常なまでのブランドブームが起こっているのも、ワケのないことではないのだ。ブランド商品は、元来そのブランドのロゴマークがついているから価値があるのではなく、独自のセンスを極めたデザインや、歴史に裏打ちされた技術やサービスによって価値がある。ブランドロゴは、あくまでもそれらのクオリティーの象徴でしかない。わかる人には、ブランドを外してもその価値はわかる。実はブランド商品というのは、こういう価値のわかる人達によって、そのステータスが支えられている。本質がわかっている人達、それはいわば「密教徒」である。だがこれは、それなりのセンスを持つ人が、それなりの経験を積まなくてはわからない。

その一方で、クオリティーがわからないがゆえに、表面的なブランドロゴに盲従している人達がいる。まさに、大衆的であり「顕教徒」的な発想行動である。こういう人達は、基本的には「ブランドロゴ」がついていれば、それで安心してしまう。だからこそ、偽ブランド商品の問題が生まれる。逆に考えれば、これを「密教徒」と「顕教徒」を見分ける「踏み絵」として使うことが出来る。粗悪な商品にブランドロゴだけくっつけた、いわゆる偽ブランド商品。ブランド商品をライセンスで作っている工場が出荷する、クオリティー的には変わらないノーブランド商品。「顕教徒」は前者を選び、「密教徒」は後者を選ぶというわけだ。

中国においては、王朝が変わるたびに徹底的に前時代の遺物に対して、徹底的に破壊、陵辱を繰り返し、それを亡き物にした上で、新たなスキームを構築した。日本においては、無批判的に、古いものに必要以上に権威を与え、絶対視してきた。日本においては、諸外国と比べても驚くほど伝世の文化財が多い理由のひとつがここにある。歴史的文化財は、こういう意味ではまさに「印籠」なのだ。歴史的な財産という意味では、文化財を大切にすることは大事だ。しかしどんな文化財でも、それが本来その座にしおわない人間が権威のよりどころとするために使われたのではたまらない。そして、過去の日本においては、必要以上にその傾向が強かったことを見て取れる。歴史上の逸話をひも解いても、自らの正当性を示すための「御物」を奪い合うハナシは、暇が尽きない。

「密教徒」と「顕教徒」。それは「本来のエリート」と「大衆」と言ってもいい。場合によっては「プレーヤー」と「観客」ということもできるだろう。人によって能力が違う以上、この両者の違いはどういう場面でも生まれる。それでも各領域において、この二つの階層がうまく棲み分け、密教徒が質を、顕教徒が量を支えるような仕組みが出来ていれば問題ない。だが、質までもが顕教徒の数の論理で判断されるようになると、その先には大暴走と破滅しか待っていない。このカタストロフを避けるには、大衆が「質を語れる」と勘違いをしない仕組みをビルトインした社会システムを持つことが必要だ。そのためのカギは、歴史・時代を超えて絶対的な偶像を作らないことである。超大衆社会の日本におけるブランドブームが、その本質を語っているとは、なんとも皮肉なかぎりではないか。


(02/01/25)

(c)2002 FUJII Yoshihiko


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